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ムシカWeb通信


■ 2007/09/26 <第三回ムシカ・ポエティカ公開講座>報告

 9月2日から8日にかけて<第三回ムシカ・ポエティカ公開講座>が行われました。この試みは普段ともに演奏に携わるムシカ・ポエティカのスタッフ・プレヤーたちが講師となって皆様とともに一週間、さまざまな勉強をするというものです。バッハのカンタータの練習で幕を明け、最終日にそのカンタータを演奏して閉幕、という形も三回目を迎えました。

9/2日  15:00〜18:00 J.S.バッハ 

カンタータ第78番合同練習(本郷教会礼拝堂)

<イエス、汝わが魂を>(独唱/合唱/器楽)

講師:淡野弓子/瀬戸瑶子

 フルートとヴァイオリンに若い音大生が多数参加、将来このような曲に関心を寄せてもらえることを願いつつ、教会カンタータの元となった聖書の箇所を説明し、バッハがカンタータのテキストをどのように音楽で表現したかをフレーズごとに検討しながら演奏の研究をしました。 ヴァイオリンの受講生は瀬戸講師と共に、この練習後も礼拝堂で熱心に練習を続け、月曜と木曜には先生のお宅で6時間ずつ勉強したとのことです。

 今年初めて講座に加わったフルートは、岩下智子さんの指導によりフリーデマン・バッハの二重奏が取り上げられました。以下は受講生の一人、中村誠一さんの感想です。

----フルート講座を受講して----

 私にとってのフルートとの関わりはむしろ合唱よりも古く、18歳の頃から約12年間はコンスタントに練習を続け、毎年の発表会にも参加していたのですが、その後20年以上にわたり楽器のケースを開けるのも年に数回程度になっていました。

 けれども、この数年ユビキタス・バッハの人たちと一緒にバッハを演奏する機会が増えたこともあり、フルートに対する関心がまたよみがえり、昨年秋のムシカ・ポエティカ祭りでは、楽器を20年ぶりにオーバーホールして参加し、ユビキタスの小穴さん(Vn)、谷口さん(Va)、大軒さん(Vc)とモーツァルトのフルート四重奏に挑戦しました。その「祭り」の場で、ゲストとして、大変豊かで音楽的なフルート・ソロ演奏を披露されたのが岩下智子先生でした。

 今回のムシカ・ポエティカ講座で初めて岩下先生によるフルート講座が開講されることになり、淡野先生からもお誘いがあり、受講申し込みを出させていただきました。当日会場に行ってみると、私のほかに二人の受講生(須田さん、坪内さん)がおられ、お二人とも岩下先生に習っていらっしゃるとのことでした。

 練習の最初はスケールです。最初はハ長調なのでよいのですが、イ短調、ヘ長調、ニ短調と♭の数が増えていき、特に♭4つ以上(特に短調)になると指がもつれてきます。スケールの練習を20年以上さぼっていたことが露呈してしまいました。

 苦労しながら12の調の音階を終えると、これからが本番、数日前に譜面をいただいた、大バッハの長男、W・フリーデマン・バッハのフルート二重奏の練習開始です。この曲はフルート2本だけで鍵盤伴奏もありませんが、主題の叙情性、掛け合いの妙といい、フルートを通じて音楽を表現することを学ぶには大変いい曲だと思います。予習する時間があまりなかったので、最後までは無理だろうと思っていたのですが、岩下先生にも加わって助けていただきポイントを的確にご指導いただいたお蔭で、第3楽章まで何とか演奏することができました。

 久しぶりにフルートに集中した大変密度の濃い2時間でした。岩下先生、どうもありがとうございます。

 今回は、譜面を読むのに夢中で十分に意識できなかったのですが、合唱と同じく、相手の音を自分の体の中に取り込み、自分の体内で振動している自分の音と一体となることを、次の機会にぜひ試みてみたいと思っています。

 今回の講座の最終日にバッハのカンタータ78番を演奏し、私は合唱で参加しましたが、オケのフルート奏者は岩下先生の別のお弟子さんで、今回の講座も受講された音大生のお二人でした。いつもはフルート等の楽器の音は客観的に聴いてしまうことが多いのですが、今回ばかりは、テノール・ソロのフルート・オブリガートをはじめ自分が吹いているような緊張感があり、リハーサル中のフルートのフレージングに関する淡野先生のお言葉にも「そうか!」と共感を持って聞いていました。また、機会があれば、講座や祭りのような場に参加してみたいと思っています。

  中村誠一

 同時刻本郷教会礼拝堂では羽鳥典子●モンテヴェルディのマドリガル「わたしを死なせて」の講座が開かれ11名が参加、最初は一パートを複数の歌い手で練習し、最後には各パート1人ずつで歌うことが出来ました。以下は羽鳥講師よりのメッセージです。

 モンテヴェルディのマドリガルの講座に参加して下さいました皆様、本当にありがとうございました。私には夢のかなった楽しいひと時でした。決して容易くはない彼のマドリガルを、短い時間で磨き上げるのは難しかったと思いますが、確かにモンテヴェルディの「音」を鳴らすことができました。

 「音の錬金術師」モンテヴェルディを歌うには、まず確かな「素材」でなければなりません。そして他の素材と「反応」するのです。ある時は火のように、ある時は風とそれにそよぐ花のように、です。

 先夜の「アリアンナの嘆き」においても、彼の仕掛けで立ち現れる、言葉の一瞬一瞬の変化が見事でした。

 一度彼の世界に魅せられると、次から次へと歌って見たくなります。マドリガリスティの仲間が増えて下さるのを、願っております。

  羽鳥典子

 さて、フーゴー・ヴォルフとフーゴー・ディストラーにはそれぞれ<メーリケ・リーダー><メーリケ・コーアリーダー>といういずれも傑作揃いの歌曲集があります。もちろんそこには同じ詩に付けられた音楽が数多く存在します。

 永島陽子●ヴォルフ[メーリケ・リーダー]と淡野弓子●合唱指揮および●声楽アンサンブルの講座ではいずれもメーリケの同じ詩を取り上げ、二人の作曲家の視点、強調点、全体を包む雰囲気の違いなどを観察し演奏の研修を行いました。講師の永島陽子さんは一人一人にドイツ語の子音の入れ方を説明、またヴォルフとメーリケの人となりについての詳しい解説も興味深いものでした。永島講師がディストラーの合唱に加わり、ともに驚いたり感嘆の声を上げたりした事もうれしい思い出です。

 翌4日にはプレイエルのピアノがある荻窪のかん芸館を会場に、 武田正雄・三ッ石潤司●「歌い手とピアニストのためのフランス歌曲」講座が開催されました。この講座は、お馴染みフランス歌曲のスペシャリスト武田正雄さんの周到なる計画のもとに、ウィーン在住でヨーロッパのあちこちで大学の教鞭を取られ、重要な劇場でコレペティートアとして働いておられる作曲家でピアニストの三ツ石潤司さん、東京の武田さん、それにミネアポリスの淡野とが、すでに5月半ばから何度となくメールをやりとりしながら準備を進めて来たものです。

 午後2時半から始まった講座は想像を遥かに超える内容でした。予想外の成功にそれまでの苦労は夢のごとく消え、あとに残った気持ち、それは武田・三ツ石両講師の並々ならぬ蓄積と実力に対する敬愛の念でした。お二人とも率直に思ったことをどんどん話され、言葉で注意なさったことはすべてたちどころに、講師方ご自身の胸のすくような声と音になって生徒に示されて行きました。受講生も皆良く勉強してきており、それぞれが与えられたヒントやアドヴァイスを真正面から受け止めている様子が窺え、また聴講生もそれは熱心かつ真摯な方々で、極め付きのフランス歌曲ともども集中度の高い3時間半を存分に味わい尽くすことが出来ました。印象に残った教えを幾つか・・・。

 ◆前奏は設定された場面を喚起するように奏く。はっきりしたイメージがないと演奏出来ない。歌い手もはっきりした絵を思い描いて歌うように。

 ◆意味のあるところを聴衆に聴いてもらう。

 ◆歌い手が高い音を出しているときには身体が広がり緊張感が増す。この時、伴奏者の身体も同じように緊張して行く。

 ◆テンポは速い方が良い日もある。ちょっとゆっくり目がふさわしい日もある。一期一会。

 ◆熟した柿が落ちるのを待つ。もぎとってはいけない。

受講生:ソプラノ6名 ピアニスト6名

曲目:アーン「私が館に囚われた時」 デュパルク「悲しき歌」 プーランク『変身』より「 かもめの女王」「おまえはこんなふうだから」 ドビュッシー『青年期の歌曲』より「月の光」 フォーレ「月の光」 ドビュッシー『忘れられし小唄』より「そはやるせなき夢心地」

聴講生:およそ25、6名

 9/5水 淡野太郎●発声基本講座は奇妙な事に発声練習にはつきものの「アーアーアーアーア」というような声がほとんど聴こえず、腕を前へまた上へあげたり、回したり、舌を思い切り出したりという体操に終始、最後の10分ほどでやっと「Ah--」という声が・・。あな不思議、皆、ふっくらした良く響く声を気持ち良さそうに出しているではありませんか! 淡野(太)講師によれば「充分な準備のないままいたずらに漠然とした声を出すよりも、身体を声が出るしかない、というところまで先に作り上げるほうが良い。これは声を出さずとも大部分は出来る。声を出しながらああでもない、こうでもない、と迷うのは声を疲労させ、良い結果を生まない」とのことです。

 同時刻オルガン・ギャラリーでは武久源造●オルガン講座が。「オルガンを奏く時に大切なことは?」との質問に武久講師曰く「例えば、sol→la→si→do→re と弾く場合、一つひとつの音を全身全霊で繋げて行くこと。オルガンは意識しなくても弾ける機械でもあるのだが、音と音の間に意識を持ち、その間をどのように繋げてゆくかによって、出来ないはずのクレシェンドもまるで息をしているように聴こえてくる。しかしこのような弾き方は電子オルガンでは出来ない。オルガンには衣装の部分が無くあるのは骸骨のみ。エッセンスのみで弾かねばならないのがオルガンという楽器だ」と。

 9/6木夜 淡野弓子●合唱指揮 メンデルスゾーン・コーアのメンバーとバッハのミサ曲ト長調から二重唱、メンデルスゾーンの「ひばり」、「うぐいす」などを受講生の指導で練習しました。

 合唱指揮とは? 「自分の身体の外に発音体のある器楽と違って「声帯」は身体の中にあり、しかも見ることが出来ないので、前に立つ指揮者の姿勢やたたずまいが歌い手に大きく影響します。指揮者自身が深く息を入れ、最も良い声の出る姿勢で歌い手の前に立つ、ということが大切です。声帯は身体の正中線にあるので、1拍目は身体の真ん中を通るように落とします。言わずもがなですが、良い演奏もそうでない演奏もすべて指揮者に責任があります。」(淡野)

 9/7金 大変残念なことにこの日の夜に予定されていた守安功・雅子<アイルランド音楽実践>は受講生側の悪条件が重なり、中止ということになりました。時間を明けてくださっていた守安ご夫妻には心よりお詫び申し上げます。

 お二人は今、アイルランドの音楽史の中で最も重要な作曲家、バッハと同時代のターロック・オキャロランの、世界初の試みとなる、全曲録音プロジェクトに取り組んでおられます。あの懐かしくも楽しいアイルランドの響き、そしてオキャロランの演奏や、その背景についてのお話などを満喫すべく、改めて良い機会を設けたいと願っております。

 9/8土 いよいよ最終日、の日を迎えました。カンタータ78の練習にはフルート2名、ヴァイオリン6名、それにオルガンの受講生が加わり、廣田牧師の言葉をお借りるするなら「初々しい」陣容、それにユビキタス・バッハ、シュッツ、メンデルスゾーン・コーアの面々です。合唱陣に私は「常に身体の内側を広げ」ということを繰り返し言ったのでしたが、ヴァイオリンの瀬戸講師は「内角を大きく」という表現で、人間がヴァイオリンを持つ姿勢を教えている、というお話を聞き、この一週間、別々の事を学びながらも、あちこちに呼応する共通の教えというものが浮かび上がってきたことをうれしく思いました。

9月8日(土) 6:00pm Soli Deo Gloria Vol.235

バッハ カンタータ第78番 指揮 淡野弓子

<イエス、汝わが魂を>

 前半にテレマン、J.S.バッハ、ウイニアウスキイ、モーツァルトのヴァイオリン二重奏、Fr.バッハのフルート二重奏がそれぞれの講座の受講生によって奏され、続いて廣田牧師の聖書朗読とともにカンタータ78を演奏しました。人間の弱い心に忍び込むさまざまな悪に対し、克服して上方を指向する心を表す音型と、隙を狙ってあっという間に主導権を握る悪魔の音型とが、拮抗しながら進む中に、コラール旋律によって“この罪から引き出して下さったのはイエス”との信仰が歌われる導入の合唱曲の見事さは、改めてバッハの信仰と音楽の力をわれわれに知らしめたのでした。最後になりましたが毎回のお客様に心より御礼申し上げます。

[Y.TANNO]


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