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ムシカWeb通信


■ 2007/07/23 瀬尾文子 ベルリン便り

 瀬尾文子さんよりの便りをお届け致します。             

                                

淡野先生

 本日(7月22日、日曜日)、確かこれで7回目となる、エピファニエン教会の礼拝奏楽をしてきたのですが、とても心に残る出来事がありました。おかげで、私の留学生活の中で一番忘れられない日になりそうです。ちょっと長くなってしまいますが、興奮冷めやらぬうちに、一部始終をレポート致します。

 今回の奏楽は、初めてカントールのマッテーイさんを通さずに、教会から直接頼まれました。(マッテーイさんは形の上ではもう退職なさっているので、新しいオルガニストが来るまでは礼拝オルガニストの席が空白で、7月は毎週、いろんな人に依頼が行っているようです。)それがこないだの月曜日のことです。すぐにOKの返事をしました。

 そこでまず、前奏と後奏に何を弾くかを練りました。礼拝のテーマに合った選曲ができればプロでしょうが、私は自分のできる範囲内でやるしかありません。ただ、毎回違う曲を弾くことだけは(自分への挑戦として)こころがけてきました。月曜の時点では、今週どこかでオルガンが練習できるかどうか判らなかったので、多少不安を覚えつつ、前奏・後奏とも比較的短い曲を選びました。ところが、火曜と水曜に、わざわざ私のオルガンを聴くために礼拝に来てくれるという人が三人も現れたのです。そうと来ては、選曲を再考せざるを得ません。前奏のJ.プレトリウスのプレアンブルムは予定通りとしましたが、後奏には、思い切って、J.S.バッハの幻想曲ト長調(BWV572)を弾くことにしました。一応、私のレパートリーに入っている曲です。そして、木・金と、大学とエピファニエンで、それぞれ2時間ずつオルガンを練習させてもらいました。(フンボルト大学にはフリッツ・ロイター・ザールというところにポツダムのシューケ・オルガンがあります。)

 木曜の夜に、礼拝の式次第が教会からメールで送られてきました。見ると、讃美歌が8曲もあります。これまでは、どんなに多くても6曲でした。先唱をすることも考えると、とても忙しそうです。そつなくこなせるか、心配になりました。それに、私は節を正確な回数くりかえすことが苦手です。4節、5節と歌う讃美歌では、途中で何節目かわからなくなってしまうことが多く、いつかなど、誰も歌っていないのに、余分に1節弾いてしまったことがありました。途中で気づいたのですが、やめられなかったのです。牧師が「オルガニストが大サーヴィスしてくれました」とフォローして下さいましたが、思い出すと顔から火が出そうです。それから、今回、初体験の「Fuerbittengebet(代祷)」があることに気づきました。エピファニエンの礼拝は、ルター派のミサ形式で、毎回ちょっとずつ式次第が違います。「代祷」は、たまにあるのですが、私は奏楽の日では初めてでした。祈祷が唱えられる中で、しばしば「キリエ・エレイソン」を歌うのですが、そこにはオルガン伴奏が要ります。ふさわしい場所でちゃんと入れられるかどうか、心配になりました。

 今朝は8時すぎに寮を出ました。外はどしゃぶりの雨で、雷も鳴っていました。エピファニエン教会までは、平日の日中でも一時間かかります。まして、日曜の朝で、この天候では、二時間みておかないと不安でした。30分前に無事到着、教会の鐘がカランコロン鳴っています。本日の牧師とほぼ同時でした。挨拶もそこそこに、代祷の「目印の言葉」を質問しました。「Ich ruf zu dir:」 「Wir bitten dir:」などいろんなパターンがあるのですが、今回は「Wir bitten und singen:」と教えてもらいました。

 礼拝の始まる直前に、オルガン席のある二階に、カントライのテノールで、この教会の役員でもあるホルストがやってきました。良かった! 彼はLektor(聖書を朗読する係)でないときは、先唱を私の代わりにやってくれるのです。オルガンに集中できることになります。それに、彼がいれば、いざというとき助けてもらえます(オルガンを弾き始める合図とか、あと何節だよという合図とか)。7回目だというのにかなり緊張していたのですが、これでどっと安堵感を覚えました。実際、彼はとても親切で、そういう「いざ」の場合でなくても、いろいろアドヴァイスをくれます。今日も、讃美歌の1曲目を弾いたあと、「節と節の間は、もうちょっと間があった方がいいよ」と耳打ちしに来てくれ、2曲目から注意したら、「いまの理想的な間だったよ」とまた言いに来てくれました。

 さて、何とか滞りなく礼拝は進行し、難関の「連祷」がやってきました。ここでは私は、文字通り、全身耳となりました。正直、あんなに一生懸命ドイツ語を聞いたのは、初めてです。合図の言葉が聞こえたときは(当たり前でバカみたいですが)嬉しかったです。無事にこなせました。

 そして、後奏。この曲に関する今回の自分なりの挑戦は、第三部(速い音符の連続)をどこの鍵盤で弾くかということでした。Oberwerkで弾けば、残響があって楽ですが、音の粒がくっきり聞こえません。理想はBrustwerkです。それを選びました。あとは無心に弾くだけです。この大曲を長く感じさせないように、とにかくつきすすむこと、(頭の中で)歌うことだけを考えて、無我夢中で弾きました。第三部で、カプラーを外すことを忘れてしまった以外はミスなく、100パーセント満足ではないけれど、やれるだけのことはやりました。

 礼拝後、オルガンを聴きに来てくれたイルゼ夫婦とフランス人のガブリエル(最初の語学クラスの同級生)と、毎回教会脇の一室でやっているKirchencafe でコーヒーを飲みました。同じテーブルに見知らぬ女性がいました。イルゼが私を今日のオルガニストですよと彼女に紹介してくれました。するととても驚かれて、「あなたのような(ちっぽけな、という意味だと思う)女の子だったとは信じられない!」とくりかえされました。そして、後奏のバッハについて、「あんなに内から出る音楽を聴いたのは初めてだった」とおっしゃいました。ほめすぎだと思いましたが、私のあの作品に対する思い入れをわかってもらえて、感激でした。そして後でイルゼさんに聞いてびっくりしたのですが、彼女はマッテーイさんの奥様でした。

 もう一つ、嬉しかったことは、教会の外のガラスの掲示板(ということは道行く人のだれもが目にすることのできる場所に)、なななんと、例の世阿弥の言葉を書いたマッテーイさんへの私の手紙が、拡大コピーされて貼ってあったことです。明日、マッテーイさんが先日の退職記念パーティーへのお礼としてオルガン・コンサートをなさるのですが、そのプログラムの隣にです。添削をお願いしたイルゼさんも喜んでくださいました(添削しておいてもらって、本当に良かったです)。

 瀬尾 文子                             

                                 

                                

 瀬尾さん、良いお便りありがとう! 私、淡野も月に一回本郷教会で礼拝オルガンを受け持っていますが、いまだに当番の前の土曜日の夜と当日の朝は神妙になってしまいます。説教のテーマに合わせて前奏と後奏を選ぶ、という仕事に一番気を使います。ふさわしいものが見つからない時には、シュッツの声楽曲をオルガン用に編曲して弾いたりもします。賛美歌も詩節が多いと本当に心配ですね。譜面には最終詩節が書かれていない曲もあり、6番まである曲を5番でアーメンを弾いてしまったり、アーメンのみ次頁に印刷されているのを知らずに、皆さんがアーメンと歌われるので、驚いて追いかけたこともありました。


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