トップ «蘆野ゆり子 in Leipzig 最新 瀬尾文子 ベルリン便り»

ムシカWeb通信


■ 2007/07/04 みなさま、お久しぶりです。

 6/29(金)午後8時無事自宅に辿り着きました。実は今週始め、帯状疱疹につき数日安静にする、という連絡が太郎から来ていたので心配していたのですが、彼は家のPCの前で私がミネアポリスから送った原稿のチェックをしていてくれました。「あんた明日大丈夫? 私が振ろうか?」と訊くと「いや明日は俺が振る。母さんの振るようには練習をしていないから。」 それもそうだ、下振りを頼んでおいたわけではないし。

 6/30(土)印刷したプログラムを持って午後3時に本郷教会へ。5週間ぶりに聴くわれらが響きに、ホームグラウンドを与えられている幸せを感じました。定められた音響空間の中でわたくしたちの音は成長もし、また逆にひどくなって行くこともあるわけですが、本郷教会でのバッハの音には余計なものがありません。改革派の教会なので、会堂内の装飾が何もなく、讃美歌の番号表すらないので、壁も天井(三角)もすっきりしているのです。また、長期間の練習をしない(カンタータ一曲につき本番六日前に3時間と当日約4時間のみ)ので、こねくり回してあらぬ方へ蔓が伸びる間が無いということも挙げられると思います。バッハの創作→練習→演奏を彼が体験したように体験してみたかった、ということが、この活動を始めた原因の一つでしたので、伝えるべきポイントを絞り込んでさっさと進める、という基本路線です。

 さて今回のシリーズはバッハのライプツィヒでの初仕事、三位一体の祝日後第一日曜日(1723・5・30)〜第三日曜日(1723・6・13)のカンタータ75、76、21 を一曲ずつ三回に亘ってお聴き戴くというものでした。いつも教会暦に従ってカンタータを選んではいるのですが、東京では一週間後でもバッハの作品の成立年代は一年と一週間であったりするわけで、今回のように1723年と私達のスケジュールがうまく重なったのは初めてのことかも知れません。

 第一日曜日の75番と第二日曜日の76番は姉妹作品として作られており、両曲とも14楽章から成る事で知られています。バッハが自分の数14(B=2, A=1, C=3, H=8 を足すと14)を隠し署名としてここぞという所に用いているのは有名な話です。彼のただならぬ覚悟と意欲を目の当たりにした思いで、こちらも「がんばるぞ」とは思ったものの、14曲ということは通常のカンタータの約二倍の量です。さらに三週目の21番は11楽章、結局ミネアポリス後半の三週間はほとんど毎日、訳詞・解説の作業に追われてしまいました。

 会衆の一人として問題のプログラムを見乍らカンタータ21番を聴き、訳詞のレイアウトや活字の大きさなど、もっと注意を払う必要があることに多々気付き、良い体験でした。今回のシリーズで実際に演奏を聴くことの出来たのはこの21番のみでしたが、堂々とした良い演奏だったと思います。<メサイア>の終曲と同じ歌詞を持ち、しかも良く似た造りの終結合唱がコーダに差し掛かる頃には、バッハ氏のみならずヘンデル氏にも拍手を送りたい気分でした。

 ご心配をお掛け致しました太郎も、この三回シリーズのあと回復に向っています。皆様のお心遣い、お支えに深く感謝申し上げます。  Y.TANNO


編集