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ムシカWeb通信


■ 2017/09/28 エアフルト

 お蔭様で9/15午後7時半、全員無事羽田に到着致しました。皆様からの応援、誠に有り難うございました。帰国して12日も経ってしまいましたが、これからエアフルトで行なわれた最後のコンサートについてお伝え致します。

 エアフルトはマルティン・ルターが学び修道生活を送った街です。彼は法律家になるべくエアフルト大学に入り、その後ロースクールで学んだのでしたが、ある日近郊の草原で雷雨に遭い突如修道士になろうと発心しアウグスティナー修道院に入ったのです。

 今回私たちを教会コンサートに招いて下さったのは150名ものメンバーを擁するエアフルト市最大のアウグスティーナー・カントライでした。このカントライが礼拝で歌っているプレーディガー・キルヒエは13世紀に建立された教会で、この教会と修道院はかの神秘家マイスター・エックハルトがその働きの足場としたところだということを知り驚愕! 現在は年間50数回にもおよぶコンサートが行なわれています。

 オルガンの説明をしますから朝8時に来て下さい、と言われ、エックハルトの名の記された美しい扉の前で待っていると、なんとオルガニストの Prof. Dreißig がワイシャツにチョッキという軽装で自転車で現れたのです。厳めしい人を想像していたので、ここで2度びっくり。

 後方のオルガンバルコニー左右一杯に古色蒼然たるバロックスタイルのオルガンパイプ。1648年(30年戦争締結の年/シュッツのGeistliche Chormusik 公刊の年)に奉献された楽器の前面のみを残し、後ろはシューケのモダン楽器とのこと。すべてコンピューターで制御されているので、武久さんは「37」という番号をもらって、そこに演奏曲のストップを記憶させました。ドライシヒ先生はシュッツのコンチェルトを歌う徳永ふさ子さん、太郎、私の3人に、ここに立てば一番綺麗な声が通る、という場所を教えて下さいました。私が初めてドイツの中世のゴシック建築の教会で歌ったのは半世紀ちょっと前の1964年でした。良くも飽きずに同じ事を続けてきたものです。なにはともあれその夜は我々のコンサートなのです。慎重に、大胆に、を繰り返しながらのリハでした。

 本番の話はまた長くなりますので、今夜はこれで。おやすみなさい。


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