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ムシカWeb通信


■ 2009/11/28 2009<レクイエムの集い>

 11/18 (水)三鷹・風のホール<レクイエムの集い>無事終了致しました。すぐにもご報告したかったのですが、4日後の11/22(日)という日の午後と夜に本番があり、これが全く違うプログラムだったので、その準備・・プログラムの訳詞とリハーサル・・でまたもや大わらわとなり、その二つの本番がやっと終った翌日は「ヘレン・ケラー協会」の音楽盲学生のコンクールで朝から審査でした。11/24の夜から11/27までは毎日練習、講座と続き、なかなかレポートが完成しませんでした。10日も経ってしまいましたが、以下当日の模様です。

 先日お伝えしたように、<レクイエムの集い>を歌曲とともに、と、同時期に異なった国で生まれた曲、という欲張った企画は、実際に音で聴いてみると動的かつ刺激的で、なかなか味わうことの出来ない時空でした。

 「いいえ、あなたの息子は死んでいません」に始まるレスピーギの歌曲は「庭へ去り、たくさんの薔薇を摘み、自らの額を花輪で飾りました。 そして今は、その優しい香りの中で眠っているのです」との言葉で終ります。今ここにその歌詞を記しただけでも、会場に見えておられた、息子さんを亡くされたご両親の胸の内を思い、泣けてきます。ダヌンツィオの詩による「古い歌に寄せて」は、17世紀のイタリアの歌、チェスティの ‘Intorno all'idol mio 私の偶像の周りで’ が前奏に聞こえてくると、ふっと昔交わした恋人同士の言葉が甦り、今の「老い」と「愛の終焉」が、呟かれ、また歌われます。「古い歌」のイメージは、モンテヴェルディの ‘アリアンナの嘆き’ にまで広がって行きました。最後に歌われた ‘私は聖母’ は、またこれが実に心憎い旋律、忘れることはないでしょう。羽鳥典子さんの優しさに溢れた声は、レスピーギの、近代歌曲でありながら優雅な古典性を具えた音楽と良く合っていたと思います。

 ブラームスの ‘四つの厳粛な歌’ はブラームスの最晩年の作品で、かの ‘Ein deutsches Requiem あるドイツ[語]のレクイエム’ と双璧をなすものと思います。‘ドイツ・レクイエム’ のテキストもブラームス自身の選択による聖句ですが、‘四つの厳粛な歌’ に使われた歌詞も、作曲者自身が旧・新約聖書と旧約外典から選んだものです。‘ドイツ[語]・レクイエム’ なくして ‘四つの厳粛な歌’ は書かれなかったと思います。この2曲は同じ問題を扱いながら、前者が遠心性を持つとすれば、後者は彼の存在そのものの最奥に凝縮されて行きます。

 永島陽子さんの歌唱からは、この凝縮性が非常に良く感じ取れました。彼女の声の「焦点を結ぶ力」が最近とみに上昇し、その技術の洗練と心の内側に育まれたテキストへの理解が良く調和していたと思います。

 武田正雄さんの歌ったフランス歌曲のプログラムは、デュパルクに始まりシャブリエを経てプーランクに終るという、考え抜かれた選曲と配列に依るもので、書いて戴いた解説にはアイルランド独立運動、レジスタンス運動、収容所、第1次世界大戦といった文字が踊り、タイトルは『戦い・眼前の死』という、まさに激動の時代を物語るものでした。彼がフランス語で歌い出すと、そこはもうフランス語圏とでもいいたような雰囲気で、無論時間の積み重ねによる修練の賜物ではあるのですが、勉強して出来るようになった、というようなことはとうの昔に終わり、今は、彼が今考え、今感じていることが、そこに現出し、それはある種の音楽を超えた世界でした。

 ピアニストの須江太郎さん(伊/仏)、菅野万利子さん(独)も実に真摯に音楽と向き合って下さいました。それぞれに切り口が異なるとはいえ、どの歌にも共通の深い思い・・・それは「死」という計り知れないものの前で、口ごもりながらも、流れ出したら止まらないといった趣きの情緒・・・が漲り、まことに独特で貴重な時であったと思います。

 さて、休憩後には武久源造の<創造>が待っています。作曲者の武久さんが、この日、午後2時半から松山で本番があり、終ってから空路羽田に向かい、羽田から三鷹に駆けつける、とのこと。折角なら到着してから始めたいと思い、普段よりやや長目の休憩をいただいていましたが、未だ来ていない・・・・・舞台袖では合唱団が早く歌いたい、もう出ていいですか、とざわざわして来たので「仕方ない」と登場の合図。男声陣は二階席正面、女声陣は下手からステージへ。

 <創造>は女声のヴォーカリーズで始まります。7声に分かれ各声部が e→-h→fis→cis→a→d→g と1声部ずつ音を出します。自分たちの音を出した後はその音を保持します。音が重なり最後はこの7つの音が全部一度に響きます。このような音の中へ「ホッホッ、オーッ」というような声を上げながら男声が2階から1階の客席へ下り、お客様の中を走り抜けて舞台へ。「f f f f f/s s s s/k k k k ・・・・」というような音も混ざり、音楽が始まる前の段階で、人間の身体が楽器に変って行く経過が示されます。

 こうしてやっと神の「天地創造」の物語に入ります。第1日目から第7日目まで、「天地創造」の一コマひとコマ、それぞれの日に創られたものの姿や性質が、これまでの音楽史の遺した各様式によって次々に語られ歌われます。第7日目が終わり「sie geschaffen wurden それらは ‘成った’ 」という締めの言葉は、26名の歌い手が一人1パート受け持ち26声でした。エピローグは冒頭の女声、自然倍音、f f f f f/s s s の世界へ。最後の音はE/FIS/G/A/H/CIS/Dの7音が一度に響きます。鳴った音のみを聴くと、単に低音が重なり合っているようですが、ここにはE→H, FIS→CIS, G→D, A→E, H→FIS, D→A といった5度音程が同時に響き、それらがさらに次々と倍音を生むという仕掛けになっています。

 なにはともあれ<創造>は終わり、振り返って客席を見ると、前の席に武久さんが。彼は女声陣が入場し、位置についた時に丁度座席に座ったとのことでした。作曲者で1980年代半ばから10年ほどシュッツ合唱団でバスのメンバーでもあった彼をステージに招き、10月8日にお亡くなりになった恩師服部幸三先生を偲んでシュッツの“Also hat Gott die Welt geliebt 神はそのひとり子を賜うほどにこの世を愛された」を一緒に歌いました。武久さんを教え導き、いつも気にかけておられた服部先生も喜んで下さったのではと思います。

 皆様から戴いたご感想など、次回にまたお伝えいたします。


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