私は70歳になる予定です。この日にはリサイタルをしようと思っていました。が、<エリヤ>の前にはあまりの疲労に「もう死ぬのでは」と何度も思ったので、プログラムのことも宙に浮いたままでした。が、<エリヤ>が終ってみると途端に元気が出て来まして、仕事のすき間をくぐってプログラムの構成を考えました。始めは、1994年に演奏し好評だった岡本かの子の「小町の芍薬」という幻想譚〜物に凝る性向を持った一人の男が小野小町の研究に没頭し、遂に芍薬の花叢のなかで「采女子(うねめこ)」という少女に出会う話〜を再演しようかと思っていたのでした。が、この話の季節は六月、今度の二月にはなんかそぐわないので新しい話を探すことにしました。歌うなら岡本かの子、というところまでは決めていたので、彼女の全集をひっくり返し、彼女が昭和十三年(1938・私の生年)に発表した「扉の彼方へ」という短編を見つけました。「小町の芍薬」を作曲して下さり、今回もピアノとオルガンで参加して下さるWONG WINGTSANさんと武久源造さんに読んで戴いたところ、お二人とも話の内容に興味を持たれ、今回のために全く新しい曲を作って下さることとなったのです。暮れの一日、久し振りに三人で会い、積もる話をして新作のアウトラインも大体目処がつきました。これでひと安心、私は前半のプログラムを考えました。おおよそのところは次のようなものです。
淡野弓子メゾソプラノ・リサイタル
YUMIKO TANNO MEZZO SOPRANO RECITAL
扉の彼方へ〜樫の木と蒟蒻〜
70回目の誕生日に
ウォン・ウィンツァン(ピアノ) Piano Wong WingTsan
武久源造(オルガン/ピアノ)Organ/Piano Genzoh Takehisa
E.グリーグ(1843〜1907)Zur Rosenzeit 薔薇のときに Op.48-5 ゲーテ詩
武久源造(1957〜)<マザーグースの歌>より
「なんにももたないばあさんがいて」「けっして、けっして」「だいじな だいじな六ペンス」
E.グリーグ Die Prinzessin 王女(1871) ビョルンソン詩
ウォン・ウィンツァン(1949〜)山川弥千枝<薔薇は生きてる>より
「湯気」「手風琴」「風の中の桜」「薔薇は生きてる」
武久源造(1957〜)山川弥千枝<薔薇は生きてる>より
「窓際で見た空の広さ」「バラの花よ」
E.グリーグ Ein Traum 夢 Op.48-6 ボーデンシュテット詩
〜〜〜〜〜〜〜Pause〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ウォン・ウィンツァン・武久源造・淡野弓子による即興コラボレイション
岡本かの子<扉の彼方へ>〜樫の木と蒟蒻〜
ウォン・ウィンツァン
「扉」 目黒浄華 詩
前半はグリーグの歌曲が雰囲気造りのベースとなっています。グリーグの<薔薇のときに>に始まり武久作曲の<マザーグースの歌>に続きます。ここで歌われるのは「喪失」です。再びグリーグの<王女>という曲を歌い、そしてWONG作曲の<薔薇は生きてる>から四つの可愛いうたを。<薔薇は生きてる>は山川弥千枝という十六歳で亡くなった少女が病床で書いた短歌、詩と散文を集めた本で、その昔、母が私に呉れました。当時私は七歳でしたが、弥千枝の作品も七歳からのものが載っていたので、毎日読んでいた本だったのです。1992年、このなかの詩を数編、WONGさんが作曲して下さいました。ここでは部屋に座ってあれこれ命令をするわがままな王女と、ベッドから離れることが出来ない弥千枝の思いとが重なります。
弥千枝の詩には武久さんの曲もあります。前半の最後にはそのなかの幾つかにグリーグの「夢」を組み合わせて歌うつもりです。
後半の<扉の彼方へ>の作曲はこれから三人で取りかかる作業ですが、内容は男性と女性の心のなかの話です。永遠のテーマですね。最後にWONG作曲の<扉>を歌います。
では今日はこの辺で。