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ムシカWeb通信


■ 2008/01/01 なんと書いているうちに日付が変わり・・・

 大晦日になって、とにかく12月にあったことは書いておかなければ、と思いつつ、お正月の煮物をしておりました。煮たものは、「蓮根」、「椎茸」、「人参+牛蒡+里芋」、「蒟蒻」、「鶏」、「レバー+ハツ」、「大根+鰤」、そして「黒豆」が現在進行中でございます。ひとつだけ自慢をさせて戴くならば、「・・・」に囲まれた一品一品、それぞれ味付けが違うのでございます。一段落したと思ったら除夜の鐘、遂に2008年を迎えてしまいました。が、私の目的は昨年のBlogの続きでございます。

 12/16(日)後藤田篤夫さんの告別式が成城カトリック教会で行われました。後藤田さんは宗教音楽研究会で遠山信二先生が指揮をされていたころ「宗研」の中心的人物で、会をリードしておられた方です。私とシュッツ合唱団は創立当初より後藤田さんには非常にお世話になりました。「クルト・エクイルツが来ますよ。一緒にコンサートというのは如何でしょう。」と声をかけて下さり、1969年の受難節にはエクイルツのエヴァンゲリスト、蔵田裕行さんのイエス、唐津東流さんのピラトでシュッツの<マタイ受難曲>を東京文化会館の小ホールで演奏することが出来ました。その後もヘルムート・リリングの公開講座でシュッツ合唱団をモデル合唱団に用いて下さったり、われわれの演奏予定を前もって訊ねて下さり、公演曲目が重ならないように情報を他団体に回して下さったり、宗教音楽に携わる者たち全員に非常に細やかな配慮をして下さった方でした。葬儀当日の神父様のお話では、12/14(金)のお昼を召し上がり、「銀行に行って来る」と仰って家を出られ、銀行で倒れられ、救急車の中で亡くなられたとのことです。身軽にどこえでも足を運ばれ、海外の演奏旅行にも幾度となく出かけられた方でしたが、こんなに簡単に天国へ行かれるとは! 400人にもなろうかという程の参列者に見送られた葬儀でしたが、知人、友人のみなさんは一様に「後藤田さんらしい亡くなり方ですね。羨ましい限り!」という感想でした。寂しい、悲しいという感情は皆当然持ったにせよ、それにも増してさわやかな雰囲気で、人間、柩の蓋に釘の打たれる瞬間にとてつもないエネルギーを放出し、なにかを表現するのだな、と思ったことです。

 12/23(日)クリスマス礼拝。シュッツ合唱団のソプラノ 柴田圭子さんが本郷教会で受洗しました。洗礼式の最中、私はいわく言い難い感情に襲われ、涙が止まらず、賛美歌もまともに歌えませんでした。柴田さんに「良かった。お目出度う」という気持ちと「内尾君も今一緒にここにいる。笑っている」・・・これは想像ではなく実感だったのですが・・・という思いが同時に押し寄せ、こらえてもこらえても涙が止まりませんでした。礼拝が終わり振り返ると、なんと後方の席には福岡にお住まいの内尾君のご両親が! 予想もしていなかったので、ただただ驚きました。

 午後は市瀬寿子さんの指揮する国分寺チェンバークワイヤの演奏会を聴きに白寿ホールへ。シャイト、シュッツ、ブクステフーデら初期バロックからバッハの息子の一人、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハの作品までが非常に興味深くプログラミングされ、とても感じの良い会でした。普段はロンドンにお住まいの、ヴィオラ・ダ・ガンバの市瀬礼子さん、リュートの竹内太郎さんも演奏に加わり、お二人ともしっかりとした良い演奏家に成長され、というよりは、すでにリーダーとして若い音楽家たちを引っ張って行ってくれる方々であると頼もしく感じました。

 夜は再び本郷教会に戻り翌日のコンサートの練習。夜中、未完のプログラム原稿を完成させるべく朝5時半までがんばったのですが出来上がりません。なにはともあれ脳を休めるべく8時半まで眠りました。起きて少し書き足し、やっと出来上がったもののモンテヴェルディの項には不満が・・・。が、もう仕方がない、今度やる時は徹底的に書くぞ、と思うも練習していると音楽の方からあれこれ新しいことを喋り掛けてくるので、いつも解説は本番ギリギリになるのです。ま、なにはともあれコンサートは無事終了したのでした。

 現在、年が明けて2時間、新年 明けましてお目出度うございます。黒豆も煮上がったようですので、私はこれからひと眠り致します。皆様もごゆるりと良いお正月をお過ごし下さい。


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