あるフリースクールの引っ越しに伴い、印刷機を戴けることとなった。コピー機とどこが違うかといえば、先ずスピード、そしてコスト大幅ダウン。目にも留まらぬ速さで500枚位のコピーは数分で上がり。これは有り難い。やっと機器にも慣れ、ふと目をやると、フリースクールで印刷をしたのであろう1枚の原稿が挟まっていた。読む。
『愛児への絶筆』 ボルネオ民政部 海軍警部 高橋國穂
昭和二十三年十月四日ボルネオ・パリックパパンにて 法務死 宮城県出身 33歳
弥穂、お父さんが南方にきたのは弥穂が四つのときだった。
おまへが小さい手でおじいさんにだかれて、ひのまるのはたをふって「父ちゃんばんざい!」とさけんだことおぼえてゐるか。
お父さんのかほをおもひだせるか。弥穂も二年生になったが、お父さんのてがみがよめるか。栄穂はよめないな。
お父さんはせんそうにきて、パリックパパンといふところでしんでゆきます。くわしいことは、お母さんからきいてください。——おまへたちが大きくなったらボルネオに来て、おはかまゐりをして下さい。まってゐます。——栄穂はお父さんのかほをしらない、でも、お父さんはしゃしんを見てお前をしっています。元気で大きくなりなさい。それからお母さんにしんぱいをさせてはいけません。お父さんはお国のためにはたらいたのです。
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知っているようで実は身に沁みてはいなかったことが、今日は肚にこたえた。FaceBookにふさわしい話題なのかどうか一瞬躊躇したが、書き写さずにはいられなかった。私も6歳ぐらいのとき「兵隊さんばんざい!」とさけんだ、さけんだ・・・さけんだよ。