先週10/1(土)、本郷教会ではSDGの練習、本番があるのでしたが、私はこの回、お休みを頂き、午後1時「中山悌一追悼演奏会」を聴きに東京文化会館小ホールへ。中山先生の薫陶を受けた老練の声楽家総勢22名の方々(伊原直子、後藤基裕、蜂谷幸枝、勝部太、渡部せつ子、福田圭位子、高橋啓三、日比吉子、鹿野道男、吉江忠男、渡邊明、宮原卓也、佐伯勝巳、佐藤信子、原口隆一、佐藤征一郎、中山節子、渡辺一男、高折續、飯山恵巳子、岡崎實俊、高橋大海。 ピアニスト:森島英子、後藤れい子、砂原悟、笈沼甲子、武田真理、赤塚太郎、小林道夫、宮城令子、山内三代子、高須亜紀子、福士恵子、佐藤恵)がそれぞれドイツ・リートを1曲、あるいは2曲歌う、というコンサート。考えてみれば随分贅沢な催しです。
これだけの錚々たる面々が、幾千の歌曲の中から1曲選んで歌う、という趣向にも魅かれましたが、中山悌一の師がゲルハルト・ヒュッシュであることに興味がありました。ヒュッシュはハンス・エムゲという声楽教師に学び、このエムゲはセディエの直弟子なのです。ヒュッシュは1970年の終わりから80年にかけて多くのアメリカの大学で教えており、セディエのチャートを生徒に手渡している。私の今の師匠エリザベート・マニヨン女史もチャートはヒュッシュから貰った、と。日本滞在中(1950年代)にも彼は生徒にセディエのメソッドを教えたのだろうか? アメリカ滞在は日本滞在時から20年程後なので、日本でこのチャートを貰った生徒はひょっとしていないのかもしれないし、いるのかも知れない・・・。直伝でセディエが継承されたとすれば、中山悌一はセディエの曾孫弟子、そしてここで聴くのはセディエ玄孫弟子の声。
ヒュッシュも偉大なら中山悌一もエクセレント、その生徒たちもなべて優秀でありましたから、私の期待した生々しいセディエ・メソッドは聴き取れなかったとはいえ、メソッドの伝承とその推移、途中でさまざまなものが混じり合い、変種が出現し、突然変異も起こる、というこの世の当然の成り行きを我が身体は受け止めることが出来たのでした。
22名の方々の歌をここで云々するというような失礼なことはとても出来ませんが、一点だけ、はっきりと分かることがありました。それは引退歌手か現役かということです。ライヴをする人は楽器もライヴでないとね。どれほどの価値があろうとも、戸棚の奥の骨董品は意味がない。引退の是非を云々しているのではありません。また、吉田秀和の語ったホロビッツの演奏とも違う。演奏は他ならぬ「今」「ここで」の世界。その人が生きて動いている状態を伝えるのが仕事だと思います。ひび割れてても、それがその人の今であるなら仕方ない。私が、ちょっとなあ、と思うのは「ふふふ」といった感じで、「今はもうお遊び」という演奏をする人。これは真剣勝負の人にとってかなりのダメージを与える。やめて欲しい。演奏は「今」「ここで」と書きましたが、「今まで」「これから」もはっきり知らされる。「ふふふ」の人の「今まで」は何だったのか。
つくづく立派だと思った方は勿論いらっしゃいました。今から30年以上前にシュッツ合唱団のコンサートでソプラノ・ソロを歌って下さった飯山恵巳子先生は、その昔よりさらに一層洗練されたソプラノで、Joseph Marx(1882-1964)の Nocturne, Waldseligkeitを 歌われました。 Marx の歌曲は初めて聴きましたが、上品な華やかさに溢れた魅力的な作品でした。
中山先生の『悩める若き声楽家諸君へ』(1956年)というウイーン便りについてもお話したいことは沢山ありますが、これはまた後の機会に。