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ムシカWeb通信


■ 2011/09/15 シュッツ《宗教合唱曲集 1648》

 多忙を極めすっかりご無沙汰でした。お許し下さい。シュッツ《宗教合唱曲集 1648》全29曲がこれほどの重さでのしかかって来たのは初めて体験です。

 いよいよ明日に迫ったコンサートですが、ここにプログラム記事の一部を掲載しご挨拶に代させて頂きます。いらしていただけたら感謝です。 

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 危機を超えて《Geistliche Chormusik 1648 》

 Heinrich Schuetz (1585-1672) ハインリヒ・シュッツ

 《宗教合唱曲集 1648年》

  

 今回の公演は、3.11に始まり今も続く地の揺れの中で、シュッツ《宗教合唱曲集 1648年》が鳴り響く時は今、との確信から実現したものである。

 バッハの《ロ短調ミサ曲》が彼の遺言とすれば、シュッツの《宗教合唱曲集1648》もまた遺言的性格を多分に持った作品集といえよう。シュッツは30年戦争(1618-1648)のさなか、またそれ以前から折に触れて書いたモテットの中から29曲を自ら選び、《Geistliche Chormusik》として30年戦争終結の1648年、ライプツィヒの市参事会と聖トーマス教会聖歌隊に献呈した。

 「善意の読者へ」と題された序文でシュッツが強調しているのは、徒に当世風(イタリアから入って来た通奏低音付きの協奏風のスタイル)に走らず、通奏低音を伴わないスタイルを十分に学ぶべし、であった。通奏低音抜きのスタイルとは、鍵盤と低音楽器によるバスの支えなしに、全声部が独立した動きで進むポリフォニックな曲を指し、そのような曲を作曲するにあたっては、「各旋法の性質」「単純フーガ」「複合フーガ」「転回フーガ」「二重対位法」「さまざまな音楽技法におけるスタイルの差異」「転調」「主題の連結」などなどを作曲における必要不可欠な技法として身につけよ、と語っている。

 シュッツは、通奏低音に頼らない作曲法を「固い木の実」に喩え、これをしっかり噛み締めよ、と述べるに留まらず、彼自身この方法でもう一度作曲し、それを若い後進のために出版しようと思ったと述べ、このようなスタイルの教会音楽を「ガイストリヘ・コーアムジーク」と呼ぶ、と言っている。そのようないきさつで世に出されたのがこの《Geistliche Chormusik 1648》であった。

 これらのこと歌い手の実技実践に当て嵌めるなら、どんなに困難でも、シュッツの言う古様式のモテットを、楽器の助け無しに歌うことを基本に据えない限り、真の意味での音の秘密、声の奥義には到達しない、ということだろう。そして《Geistliche Chormusik(宗教合唱曲集)》を演奏する場合、基本的にはア・カペラで、ということになる。

 1968年のシュッツ合唱団創立以来、「ガイストリヘ・コーアムジーク」は常に私たちと共にあった。なんといってもここには学ぶことがぎっしると詰まっていた。音楽ばかりでなく歌詞として用いられたルター訳の旧・新約聖書の言葉も日々の糧となった。シュッツの時代からすでに400年が経過し、音楽のスタイルも内容もこの世における位置や在り方もすっかり変ったとはいえ、シュッツ音楽の新鮮さは全く失われていない。今私たちに必要な音楽として機能する。理由はいろいろあるだろう。

 教会旋法で書かれているため、身体への伝わり方が柔らかく、病的なものを正す力がある。ポリフォニーという形式の中で、誰もが主体であることを実感する。低音密集和音がより多くの可聴倍音の発生を促し、一瞬にして永遠といった感覚を体感させる。心地よく肌に優しいイタリア風の優しい旋律と、あっと言う間に脳を目覚めさせるキッパリとしたドイツ語のトゥッティが絶妙なバランスで交代し心身を活性化する・・・などなど挙げればきりのない善きことの数々である。

 これらのモテットによって知らされた発声の方法、言葉の扱い方、和音の組み立て方、音画の解釈、文章の修辞学的解釈など合唱をして行く上で必要な多くの技術は、バッハはいうに及ばず、古典派、ロマン派、近代、現代のドイツ音楽を理解し演奏する上で、すべてが有効に働いた。バッハの《平均律》第1巻の最後のフーガのテーマには12音すべてが出現するが、その100年前のシュッツが示したドイツ語と音型の関係は、ドイツ・リートの領域は無論のこと、シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》のシュプレッヒ・シュティンメに至っても、変ることの無い原則として脈々と作動している。

 作曲におけるこのような原則の力は、演奏者の求める演奏技術にも大きく影響する。数年で出来上がるような浅い技術、首から上だけの声などは風の前の塵に等しい。シュッツが当世風の作曲技法に対して厳しい批判を展開したように、声についても性根の座った学びと修練、そして実践が必要であろう。

 29曲のモテットは1〜12が5声、13〜24が6声、25〜29が7声で書かれている。24,26〜29の5曲には歌詞のついていないパートがあり、声と器楽を重複せずに分けて演奏するように指示されている。これらはどの声部も独立した動きなので、器楽が伴奏というわけではない。楽器の選択、各パートの声と器楽の組み合わせ方も基本的には自由である。今回はバロック・ヴァイオリン、バロック・ヴィオラ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロック・チェロ、バス・ド・ヴィオロン、ヴィオローネの弦楽器にバロック・トロンボーン3を用い、曲の内容と性質によって楽器の組み合わせを考慮した。ピッチは当時のa'=466(コーア・トーン)で演奏する。

 手許にある楽譜は1648年の初版(各パート毎)、フィリップ.シュピッタ校訂による1889年のブライトコプフ版(旧シュッツ全集)、クルト・トーマス校訂による1930年のブライトコプフ版、ヴィルヘルム・カムラー校訂1935年ベーレンライター版(新シュッツ全集)、そして2006年にベーレンライターが新シュッツ全集中で再度出版したヴェルナー・ブライヒ校訂の版である。この五種の楽譜はそれぞれに特徴がはっきりしている。シュッツ自身の序文はもとより、シュピッタ、トーマス、カムラー、ブライヒらの校訂に際しての解説文もそれぞれに興味深く逐一ご紹介したいほどであるが、ここでは触れない。

 今回合唱団員が手にしているのは、2006年のベーレンライター版であるが、ここに使われている現代のドイツ語については、ルターとシュッツの精神を尊重し初版を参考にした。

 29曲の演奏順序であるが、今回は3.11による多くの犠牲者に哀悼の気持ちをお伝えしたいとの気持ちから、<亡き方々を悼んで>と題された8曲から始めたい。続いて<平和を願って>の5曲、休憩を挟んで<救い主を待ち、降誕を祝う>では心も躍るクリスマス曲の数々を、そして最後の<イエスは語る>では、イエスが自ら語った言葉による6曲を歌う。

 長年にわたり、楽器のこと、ピッチのこと、時代との関係、そして今、そしてこれから・・・などなど様々なことを共に考えて下さった研究熱心な器楽奏者の方々、40数年を共に歩み、あらゆる実験に耐え、厳しい演奏の現場に共に立ってくれたシュッツ合唱団・東京の歌い手たち、そして今日、ここに集って下さった皆様の深いお心に、言葉にならぬ感謝を捧げます。

 これらの曲がこれから生きて行く者たちへの善き力として働きますように。

                     2011年9月16日

                        淡野弓子


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