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ムシカWeb通信


■ 2011/08/25 夏の祈り

 3.11の翌日の土曜日、Soli Deo Gloria<讃美と祈りの夕べ>が行われるはずだったが、さすがにこの日は中止せざるを得なかった。しかし7日後の3/19(土)には奇跡的に同じプログラムでSDGを開催することが出来た。そこで歌ったシュッツの<連祷>が8/21(日)のサマーコンサート『夏の祈り』でも取り上げられた。

 いや、反省また反省。こういう歌は何が起こっても最低1日1回は歌うべし、だ。少なくとも演奏会のためにさらう曲ではない。いやさらわなければ絶対に歌えないのだが、さらってもさらっても出来上がる、ということのない音楽。歌うたびになにかが落ちて行くはずだ。必要でないものは要らないのだ。しかしあまりの長さ、先唱者のみとはいえあまりの言葉の多さに、どうしても「いざ突撃!」という姿勢になってしまい、書かれている以上のことを表現してしまう。3/19からずっと歌い続け、祈り続けるべきだった。まさか夏にも歌うとは思わなかったので、楽譜すら見えなくなっていた。こういうところが全くなってない。

 他の曲はそれぞれ面白い表現だった。シュッツのディアローグから<2人の人が神殿に上っていった」では、収税人(依田卓)とパリサイ人(細川裕介)がそれぞれの祈りを捧げるのだが、その対照の妙! シュッツの筆もさることながら、2人の歌手の表現は圧巻だった。お客さまの表情が寄席のようにほぐれたのは、初めてだったかもしれない。

 パリサイ人というのはユダヤ教のパリサイ派に属する人のことで、地名や民族を指すものではないようだ。パリサイには「分離する」という意味があるらしい。要するに、私はあなたとは違うんです、いう一派だ。これと同じ科白をレポーターに投げつけた官僚がいましたね。

 <憐れみ深くあれ>では「他人の目のチリを云々するまえに己の目の丸太に気付け」ということが歌われる。シュッツの音楽では丸太が1本の木に留まらずどんどん肥大化し数が増えて行く。音が重なり、巨木が揺れるようだ。これほどのドラマ作家シュッツの、ドイツ初といわれる彼のオペラ《ダフネ》が消失したのは返すがえすも残念だ。

 <先生、我々はあなたが真実な方であることを知っています>はイエスを罠にはめようとパリサイ人が仕掛けた問いに「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」と答えた有名な場面である。この世の話は2拍子、神を現すには3拍子という原則がしっかりと守られ、「皇帝のものは皇帝に」は2拍子、「神のものは神に」が3拍子で歌われる。すると面白いことに「皇帝」に払われた税金は終止の部分で2度と戻っては来ないように聴こえるが、「神」に返された富はぐるぐると回転運動を始め、永遠に回り続け、あたりを潤沢にするように響き渡るのだ。シュッツは聖書全巻を音楽にしたい、という願いを持っていた。それは果たせなかったにせよ、彼が小まめに音楽化した場面は数知れない。音による説教を日々地で行ったシュッツのお蔭で、何度解説書を読んでもピンと来なかった話が簡単に理解出来る。

 バッハのカンタータ119番は1723年ライプツィヒ市参事交代式のためのもので、トランペット4本、ティムパニー、オーボエ3本、オーボエ・ダモーレ2本、リコーダー2本、ファゴット1本、それに弦楽、オルガンという豪華な器楽編成で、合唱も3曲あり、レシタティーヴォにも金管+ティムパニーが加わる。トランペット4本は大人気で、途中で客席からエールが飛ばされた。これも初めての体験。

 ナチュラル・トランペットを持った奏者が4人(中村孝志/上倉武/河原哲平/中村肇)揃う、という光景を目の当たりにし、隔世の感! 立ち姿もなかなか美しかった。我が師ヴィルヘルム・エーマンがご覧になったらなんと言われるだろう。スコア丈を見ていても4声で書かれたトランペット・パートは落ち着きが感じられるが、聴くとさらにそうだ。座りが良く響きに無理が無い。バッハにはこの編成のカンタータがあとあと1曲あり、それは第63番「キリストを信じる者よ、この日を彫り刻め」。クリスマスに出来るといいですね。

 

 119番をやると聴いて、すぐにアルト・アリアをチェックすると、なんだ、この曲は1965年頃、まさにエーマン師のもとで学んでいた頃からさらっていた曲だった。その頃は一生のうちに歌えるかどうか全く分からないまま、勉強だけはしておく、というのが当たり前で皆「明日地球が滅びても、今日林檎の樹を植えよう。(ルター)」の精神で次々にさらった。だからそんな時代の曲に出くわすと喜びもひとしおだ。早速歌わせてもらえるかどうか指揮者にお伺いをたて、他に候補者も居ない様子だったので、歌えることとなった。8分の6拍子、リコーダー2本がユニゾンでオブリガート、アルト、通奏低音という地味な編成で「上なる権威は神の賜物、上に立つものは神の似姿」と歌う。いやあ、懐かしく感無量! 感謝でした。

 


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