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ムシカWeb通信


■ 2011/04/08 桜に憶う

 桜の花を見ると、綺麗だなと思う反面、わけもなく悲しい気持ちになるのは私だけではないと思う。それにしても、今年ほど悲哀の透けて見えるような桜色は初めてのことだ。

 気付いて見れば今年の<受難楽の夕べ>は東日本大震災発生から丁度1ヶ月という日、計画を立てた時点では予想だにしなかった展開である。交通手段に大小さまざまな混乱が生じ、最初の段階では練習に集まることの出来た人の数がぐっと減ってしまったが、それも徐々に回復に向かった。一番変ったのは皆の意識と集中力、われわれもこんな声を持っていたのか、と驚かされる。

 そんな中で、7/31(日)《キリスト》の練習スケジュールを詰めるにあたって念のため新宿文化センターに電話してみると、今回の地震で大ホールの壁が剥落の危険にさらされているので、4月一杯は閉館、いつ直るか分からないとのこと、不安材料を抱えては練習も出来ないので、残念ながら7/31はキャンセルし、来年に持ち越すことに。この数日は4/11のプログラム原稿執筆と7/31のことに関する各種連絡で大忙し。アメリカからは連日の避難勧告。原発も放射能も普段勉強していることではないので、自分の口からまともな言葉は出てこない。ただ老人は影響の出る前に寿命が尽きるとのこと、危険な食品は私に回して下さい。

 戦時中、ノミやシラミが睡眠を邪魔するので、身体中にパクパクとDDTをくまなく振りかけ、シーツにも枕にも毒粉を敷き詰めて寝たことをなぜか思い出す。知らぬが仏である。飛んでもないことが起こり、今日本を襲っている事態は、殺虫剤がどうの、という次元では無い事は分かるのだが、騒ぐのは本当に本当の情報を聞いてからにしたい。

 当面は4/11のコンサートに全力を傾けたい。シュッツのア・カペラの受難曲をまだお聴きになったことのない方は、是非この機会にお聴き下さい。《ルカ受難曲》です。バッハの受難曲とは全く異なる世界です。礼拝として捧げられる受難曲を公開の演奏会で演奏するというのはなかなかに大変なこと。しかし普段は聖書を開かない方も一年に一度はカテドラルへ行ってシュッツ合唱団の歌う受難曲を聴きましょう、という気持ちで来て下さる方があることを知って、やはり止めるわけには行かないと思った。有り難い事である。

 リストの《十字架の道行》も大した作品である。14の留(りゅう、Station)の一つずつの場面が一曲ずつの音楽で現されている。ヴェロニカという一人の女性が傷ついたイエスの顔を拭うと、そのハンカチにイエスの顔が浮かび上がったという伝承の情景では、あのバッハの《マタイ受難曲》で何度も出て来る<血潮したたる御頭>のコラールが登場し、イエスが埋葬される場面の弔歌も<おお、悲しみよ>というコラールである。14曲の中には純粋なオルガンソロの曲も含まれており、このオルガンのみで描写されるシーンの迫真性も只事ではない。あれだけのピアノ曲と交響詩をさらさらと書いたリストとはいえ、この《十字架の道行》に関しては相当に考え、苦しみながらの創作であったのではないか。晩年の最高傑作との評価は正しい。

 悲しいとはいえ桜は桜、追随を許さぬ貫禄だ。今年は復活祭が4/24、と遅いので受難楽の夕べが桜の季節と重なった。珍しいことである。4/11(月)午後7時 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて。ご参会を心よりお待ち致しております。

コメント(3) [コメントを投稿する]
_ 大和美信 2011年04月12日 08:57

4/11,昨夜の演奏会、お疲れ様でした。開演前に地震があり、控え室の合唱団のお客様から、電車が止まったので、来られなくなったとの連絡が入ったりしましたが、予想以上のお客様がいらしてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。お客様からのコメント、(まだ、昨夜の余韻が耳に残っています。よい音楽を聴かせていただき、また、敬虔な気持ちにかえって日々をおくれそうです。ありがとうございました。次をまた、楽しみにしています。)

_ こにしくみこ 2011年04月12日 20:53

あのように雨の音が聴こえるとは・・・余震とともにあらゆる意味で強烈に記憶に残る演奏会でした。頭でわかっていてもどうしても歌おうという意識が先立ってしまいます。少しはそこから遠くにいけたでしょうか。<br>熱心にお客様が聴いてくださっていることを膚で感じました。          

_ Yumiko Tanno 2011年04月13日 07:08

カテドラルがあんなに揺れるとは! しかし演奏者とお客様の間に張られた糸は微動だにしませんでしたね。素晴らしい聴き手の方々に支えられていることを改めて感じました。当日の様子は稿を改めてご報告申し上げます。


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