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ムシカWeb通信


■ 2010/05/26 M.Butterfly

 M.Butterfly by David Henry Hwang

 2010/4/17(SAT)〜6/6(SUN) 

 Guthrie Theater [Minneapolis]

 続いてまたいささか古い話になりますが、<マタイ>のあと早々に私は桃子一家と私はミネアポリスに向かいました。3/22のことです。桃子の次の舞台の練習(1日8時間)が3/24から始まり、私が家事全般と子供の世話をすることにしたためです。

 演し物は中国系アメリカ人脚本家 David Henry Hwang の‘M.Butterfly’という演劇で、劇場はガスリー・シアター(Guthrie Thater)、4/24〜6/6迄週8回(1日2回公演が週2日、1回公演週4日、休演は月曜日のみ)というハードな仕事です。

まず、この芝居の筋書きを書くだけでも、私にとっては非常にハードでしたので、今の今迄、先送りにしておりましたが、『ムシカ・ポエティカ便り』という、普通郵便による『便り』を発行するにあたり、やっと重い腰がほんの少し上がったというわけです。

 なにやら思わせぶりですが、全く、このたび桃子の出演している芝居は一筋縄では行かないのです。荒筋を申し上げましょう。

 場所は北京、天安門事件当時の話で、フランス人外交官が中国で‘蝶々夫人’を演じた京劇の女優と知り合い、恋に落ち、18年も共に暮らし、子供まで生まれたのに、最終的にその女優は男性であった、という実話に基くドラマです。ここにはさまざまな対比が一つのテーマとして提示されています。男性:女性、欧州:亜細亜、伝統:前衛、錯覚:現実、実像:影像などなどですが、演出家 Peter Rothstein は対比されている双方に等価を与え、最後は‘蝶々夫人’を愛したはずの外交官が「弄ばれ、裏切られた私こそが‘蝶々夫人’であった」といって、これも‘蝶々夫人’に倣い、自ら鏡(!)の破片で首を切るのです。繰り返しますが、「信じられないような実話」です。

 平土間は外交官ルネ・ガリマールが入れられている牢獄の独房(京劇俳優ソン・リリンが実は中国政府のスパイだったため、裁判となり有罪判決を受ける)ですが、そこに下からせり上がってくる小舞台や前方後方からも様々な場面が次々に登場し、彼の想念や思い出が演じられます。さらに舞台は二階だてになっていて、2.4M上部の幅2.5Mほどの板の上で、大革命当時の人民服を来た京劇俳優やバレリーナたちのパフォーマンスも演じられ、「思い出」の蝶々さんも登場します。演出家 Rothstein は、ここに歌舞伎の「黒子」という概念を持ち込み、この「黒子」を劇中の重要な役柄として用います。「黒子」は元来の黒い衣装のほか、演じる役に応じて衣装を変え、次から次へと違う役に変身して行きます。また彼らは演ずる役毎に異なった仮面をつけて登場します。このような演出によって「‘蝶々夫人’は男性であった」、さらに「男性である私(ガリマール)が‘蝶々夫人’だったのだ」という究極の倒錯も納得させられてしまうのです。「黒子」の一人に配役された桃子は、「蝶々夫人」として鬘を付け、振り袖を着て「ある晴れた日に」ほかさわりの幾場面かを歌いますが、バレリーナ、京劇俳優その他幾つもの役も演ずるため、全幕を通して衣装替えが14回、仮面は5つと言っていました。

 初日は大成功だったと思います。主役の2人の質の高さに加えて脇役も全員ピリリとしており、物語を真剣に捉えていることが伝わってきました。カーテンコールでは全員総立ちとなり、私も夢中で手を叩いたので心臓が苦しくなったほどです。初日だったので終演後観客全員(1100席満員)にシャンパンがふるまわれ、皆興奮していつまでも喋っていました。私自身が一日本女性として「Madame Butterfly」を考察し、論ずる、という場面に遭遇したことは幸か不幸か未だありませんが、この芝居「M.Butterfly」の出現は、プッチーニの、かの元祖「蝶々夫人」にも新しい解釈を提供するのではないでしょうか。

 余談ですが、大劇場2つ、小劇場1つを持つガスリーシアターはミネソタ州および近隣の州を代表する大劇場で、授乳期の女優さんの搾乳室まで備えられているとのことです。8ヶ月の輝を母乳で育てている桃子は毎日この部屋の鍵を大事そうに首にかけて出勤(?)していました。


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