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ムシカWeb通信


■ 2008/08/26 本郷教会サマーコンサート2008

 去る24日シュッツの<シンフォニエ・サクレ>全68曲のうち11曲が演奏されました。すでに選曲の段階で音楽の卓越性にショックを受け、練習時には皆が興奮し、遂に生々しい本番、それは、音が一つひとつ飛び出して来ては身体に食い込む、とでも言ったらよいのか、歌われる歌詞の透徹性と使われている音の肉感性との対比が強烈です。しかしこの両極は絶妙なバランスを保ち、全体的には勿論格調の高い音楽であることは事実なのですが、一瞬一瞬の刺激たるや、文字で説明出来る領域は超えています。皆様、シュッツの音楽はどうぞ生でお聴き下さいませ。

 以下は当日のプログラム・ノート(解説/訳詞/演奏者)です。                               

                          

-シュッツ音楽の華-

SYMPHONIAE SACRAE I,II,III より

淡野弓子                             

   

はじめに

ハインリヒ・シュッツの<シンフォニエ・サクレ>と題された曲集は全三巻が遺されており、各巻の曲を合わせると68曲という、かなり膨大な作品群であることが分かる。声と器楽が恊奏(シンフォニア)し、聖書ほか宗教的な内容(サクラ)を持った歌詞が歌われる。各巻とも編成の少ないものから多いものへ、という順序で曲が収められている。指定された楽器は多岐に亘り,いずれもほとんど最初の1〜2小節の間に歌詞の内容や情景、人物の立場や感情を聴き手に伝える力を持っている。500曲に及ぶシュッツの作品の中でも、器楽を駆使して音の彩りに心を砕き、壮麗豪華な大伽藍ともいうべき音の世界を構築した<ダヴィデの詩編曲集・1619年>と、さらに個人的な名人芸のジャンルに踏み込んで、より緻密な音のタペストリーともいうべき、どちらかというと室内風の小宇宙を織り上げた<シンフォニエ・サクレ>全三巻(1629/1647/1650)はシュッツの二度に亘るイタリア旅行を色濃く反映した作品集といえよう。今夕は<シンフォニエ・サクレ>第一〜三集全68曲の中から11曲を選んで演奏したい。

 SYMPHONIAE SACRAE I. Lateinische Konzerte 1629 Venedig SWV257〜276

シンフォニエ・サクレ第一集 3-6声の声と器楽によるラテン語コンチェルト  20曲  1629年 ヴェネツィア

 SYMPHONIAE SACRAE II. Deutsche Konzerte 1647 Dresden SWV341〜367

シンフォニエ・サクレ第二集 3-5声の声と器楽によるドイツ語コンチェルト  27曲  1647年 ドレスデン

 SYMPHNIAE SACRAE III. Deutsche Konzerte 1650 Dresden SWV398〜418

シンフォニエ・サクレ第三集 5-7声の声と器楽によるドイツ語コンチェルト  21曲  1650年 ドレスデン              

                              

背景

ヴェネツィアのジョヴァンニ・ガブリエリの許で学んだシュッツは、‘文法’や‘発音’、そして‘意味’が音楽を組み立てる上で基本となる要素であることを充分叩き込まれたに違いない。が、そこで学んだ作法はラテン語、イタリア語のそれであり、ドイツ語では? という次なる展開はシュッツその人に託された課題となった。ここで、イタリア側の師がジョヴァンニ・ガブリエリという巨匠であったこと、習ったドイツ人生徒がハインリヒ・シュッツであったということ、この偶然、いや歴史的必然と呼びたいようなこの事実は、後世に生きる我々がどれほど感謝しても感謝し切れない出来事であった。シュッツの持ち帰ったイタリア・ルネサンスの宝は彼の「ドイツ語では?」の疑問と自らの力で発見した明快極まりない解答によって、その後次々に花を咲かせ実を結ぶ400年に亘るドイツ音楽の土台となったのだから。

シンフォニエ・サクレ第一集には3-6声のラテン語コンチェルト20曲が収められ1629年にヴェネツィアで公刊された。シュッツ二度目のイタリア訪問(1628〜1629)の成果である。ヴェネツィアではサン・マルコ寺院の合唱隊を率いてきたモンテヴェルディが彼のモノディやオペラに見せた新しい刺激的な作法を教会音楽のなかにも惜しげも無く投入し、人々もその麗しい響きを堪能していた。シュッツは「書法が昔とは大違いである。人々は新しいくすぐるような心地良さでわれわれの耳を楽しませようと努めている」と第一集の序文に記している。

シンフォニエ・サクレ第二集は3-5声の声とドイツ語コンチェルト27曲から成り1647年、ドレスデンで出された。

1618年に始まり1648年まで続いた三十年戦争はシュッツ33歳〜63歳という、男性の壮年期を直撃、いうにいわれぬさまざまな辛酸を舐めたシュッツであったが、この時期に彼は、華やかさ、麗しさとは逆の、簡素な編成による内面を掘り下げた作品を数多く生み出している。とはいえ、慢性的疲労困憊状態にあったシュッツは、戦渦のドレスデンから三度に亘ってデンマークの王室に疎開、そこで、手厚い庇護を受けた。彼はその感謝の気持ちから、シンフォニエ・サクレ第二集をデンマーク王クリスチアンV世に献呈しようと考えた。第二集にはイタリアの先駆的な作法がふんだんに取り入れられつつも、神との魂の対話や自分自身を歌の内容に没入させて行く神秘的な高揚感に溢れた場面が繰り広げられ、また、モンテヴェルディ、グランディといった、シュッツが瞠目したイタリアの先輩、同輩の作品を下敷きに、そこにドイツ語の歌詞を嵌め込んでみる、という実験作もある。

シンフォニエ・サクレ第三集は5-7声の声と器楽によるドイツ語コンチェルト21曲、1650年ドレスデンで出版された。1647年から1650年にかけて、シュッツは重要な作品を次々と公刊した。1647年<シンフォニエ・サクレ第二集>1648年<宗教合唱曲集>そしてこの1650年<シンフォニエ・サクレ第三集>である。この第三集には合唱部分を含む14曲が含まれている。シュッツが晩年に到達した信仰は、人間一人が救われても、その周囲に不幸な人が居る限り、その独り救われた人も決して幸せではないだろう、という境地であり、個人の熱意が多くの人々の信ずる心と一つに成って、個人的信仰が教会的信仰へ導かれて行くという方向性である。ソロで歌い、ソロで奏でていた者が最後に合唱と合奏が加わった時に共に唱和する。この奥義は見逃せない。        

                        

プログラムを巡って ーイエス、喜び、絶望、祈りー

I.《イエス》

1. O Jesu suess, wer dein gedenkt SWV 406<おお、愛しきイエスよ>

super Lilia convallium Alexandri Grandis A.グランディ「谷間の百合」による

SYMPHONIAE SACRAE III  Nr.8 シンフォニエ・サクレ第三集 第8番                              

     

O Jesu suess, wer dein gedenkt おお愛しきイエスよ、あなたのことを思う者の

Sein Herz mit Freude wird ueberschwenkt 心は喜びに溢れる。

Kein Suessigkeit zu finden ist, イエスご自身がそこに居られること以上の

Als wo du, Jesu, selber bist, 甘さを見つけることは出来ない。

Jesu , des Herzens Freud und Wonne, イエス、心の喜び、そして歓喜

Du Licht der Welt und Gnadensonne, 世の光、慈しみの太陽

Dir gleichet nichts auf dieser Erden, この地上であなたに比べられるものはなにもない

In dir ist, was man kann begehren. 人が欲するものはあなたに在る。

Jesu, du Quell der Guetigkeit, イエスよ、あなたは善きものの泉

Der einig Weg zur Seligkeit, 瑞祥への唯一の道

Du sesser Fluss und Gnadenbrunn, あなたは甘き奔流、恵みの源泉

Der Vaters eingeborner Sohn. 御父の独り子

Jesu, du englische Zier, イエスよ、あなたは天使の飾り

All Himmelsheer lobsingen dir. 天の軍勢全てがあなたを讃えている。

この作品は、シュッツが敬愛するイタリア人作曲家の音楽を借りて、そこにドイツ語の歌詞を載せてみる、という実験作の一つ。元の曲はアレクサンドロ・グランディ(ca.1575-80-1630 G.ガブリエリの弟子、サン・マルコ寺院の歌手、副楽長。)の<谷間の百合>というモテット集からのもの。イタリア的なメリスマで流れるような美しい旋律と、ドイツ語独特のきっぱりした語り口とが交代する。イタリアの風がドイツに吹き込んだ瞬間を感じさせる興味深い作品である。2声のヴァイオリン、ソプラノ、テノールに通奏低音という編成。

SI 今村ゆかり  SII 柴田圭子  TI 依田卓  TII 淡野太郎

VnI 小穴晶子  VnII 大野幸  Bc 大軒由敬(Vc)  石原輝子(Org)  Cond. 淡野弓子                    

        

2. Mein Sohn, warum hast du uns das getan? SWV 401<息子よ、どうしてこのようなことを?>

SYMPHONIAE SACRAE III  Nr.4 シンフォニエ・サクレ第三集 第4番

Maria/Joseph マリア/ヨセフ

Mein Sohn, warum hast du uns das getan? 我が子よ、なぜこのようなことをしたのですか?

Siehe, dein Vater und ich haben dich ごらんなさい、お前のお父さんとわたしは

mit Schmerzen gesucht. 心配しながらお前を探したのですよ。  

Puer Jesus 少年イエス

Was ist's, dass ihr mich gesuchet habet? なんですって? わたしを探していらしたとは?

Wisset ihr nicht, dass ich sein muss in dem, ご存知なかったのですか、私が

dass mein Vaters ist? 父の家に居なければならないということを?

Was ist's, dass ihr mich gesuchet habet? なんですって? わたしを探していらしたとは?

 Soli & Coro ソロ群+合唱群

Wie lieblich sind deine Wohnungen, Herre Zebaoth, 万軍の主よ、なんと麗しいことか、あなたのお住まいは

MeinSeel verlanget und sehnet sich わたしの魂は絶え入らんばかりです

nach den Vorhoefen des Herren. 主の庭を慕って。

Mein Leib und Seele freuen sich 私の身と心は喜びます

in dem lebendigen Gott. 生ける神の中で。

Wohl denen, die in deinem Hause wohnen, いかに幸いなことでしょう、あなたの家に住む人は

die dich loben immerdar, Sela. あなたを賛美する人は。セラ

Text: Lukas 2, 48-49; Psalm 84, 2-3.5.

12歳になったイエスは両親と共にエルサレムへ行った。帰途両親はイエスがいないのに気付き、捜しながら都に戻るとイエスは神殿の境内で学者たちの真ん中にいた。周りの人々は皆イエスの賢さに驚いていた。曲は器楽のシンフォニアに始まる。すでに最初の音から我が子を見失った母親の心配げな様子が漂い、2声のヴァイオリンはあちこちに眼を馳せて子供を捜す両親の姿を活写する。次々に調が変わり場所が移動していることが分かる。ついにA-Durに至って息子の存在が確認される。マリアが声をかける。ヨセフも続く。少年が答える。ここには2声のヴァイオリンがオブリガートとして加わる。(イエスの神性を現す光背の役目か。シュッツの<十字架上の七言>やのちのバッハの<マタイ受難曲>にも同様の手法が用いられている。)イエスの 「Was ist's, daっs ihr mich gesuchet habet? なんですって? わたしを探していらしたとは?」の言葉が最後に繰り返され、この三人の声に合唱、器楽が加わって「Wie lieblich sind deine Wohnungen, Herre Zebaoth! 万軍の主よ、なんと麗しいことか、あなたのお住まいは!」との詩編84よりの詩節が歌われ幕。ミニオペラとでも名付けたいような、シュッツの Dialogo 作品の一つである。

S(Puer Jesus)今村ゆかり(少年イエス)Ms(Maria)羽鳥典子(マリア) B(Joseph)中村誠一(ヨセフ)

VnI 林由紀子 VnII二宮昌世 Bc大軒由敬(Vc) 森本敏嗣(Fg)

    松永秀幸(Kb) 石原輝子(Org)

Chor(Tutti) シュッツ合唱団 S(Corn)細川大介 A(TbI)武田美生 T(TbII)吉川久 B(TbIII)生稲雅威

Cond. 淡野太郎                       

                          

II.《喜び》

3. Veni, dilecte mi SWV 274<来たれ、愛しき人よ>

SYMPHONIAE SACRAE I Nr.18 シンフォニエ・サクレ第一集 第18番

Veni, dilecte mi, in hortum meum 来て下さい、愛しき人、私の園へ

ut comedas pretiosum fructum tuum. あなたの貴い果実を味わいましょう

Venio, soror mea sponsa, in hortum meum, 私の妹、花嫁よ、私の園に私は来た

et messui myrrham meam cum aromatibus meis. さあ香草とミルラを摘もう

comedi favum meum cum melle meo, 蜜の滴るわたしの蜂の巣を吸い

cum lacte meo vinum meum bibi. 私の乳と葡萄酒を飲んで下さい

Comedite, dilecti, et bibite, amici, 食べよ、愛する者、飲め、友よ、

et inebriamini, carissimi. 愛に酔え、最愛の人よ。

Text: Das Hohe Lied Salomonis, Kap. 5, Vers 1.

旧約聖書の「雅歌」よりの1節。第1群はソプラノと3本のトロンボーン(サックバット)、第2群はソプラノとテノールの2重唱、それに通奏低音という編成。第1群の3本のトロンボーンのうち、テノール・トロンボーンは声(テノール)でも良い。ここで興味深いのは、普通ソプラノとテノールが2重唱をする、となれば、女性と男性の対話、ということになろうが、ここでは、ソプラノもテノールも同じ言葉を歌うのだ。即ち一人格を二人で受け持つ。一人の女性のなかに隠れている男性性(あるいはその逆)が同時に歌われる。そして男女の対話は「第1群」Vs「第2群」で成立する。二つの音群が完全に溶け合うのは最終音。今回は第1群:ソプラノとトロンボーン(T)と第2群:ソプラノとテノールで演奏。

第1群: S 淡野弓子  TbI 武田美生  TbII 吉川久  TbIII 生稲雅威 

第2群: S 今村ゆかり  T 依田卓  Bc 大軒由敬(Vc) 瀬尾文子(Org)  Cond. 淡野太郎                    

          

4. Buccinate in neomenia tuba SWV 275<角笛を吹き鳴らせ、新月の夜に>

5. Jubilate Deo SWV 276<主に歓呼せよ>

SYMPHONIAE SACRAE I Nr.19/Nr.20 シンフォニエ・サクレ第一集 第19番/第20番                        

             

Buccinate in neomenia tuba, 角笛を吹き鳴らせ、新月の夜に

in insigni die solennitatis vestrae. わたしたちの祭りの日に。

Alleluja, in voce exultationis, アレルヤ、声をあげよ

in voce tubae corneae ラッパを吹き角笛を響かせて

exultate Deo, adjutori nostro. 主に喜びの叫びをあげよ、われらの力となる方に。

Alleluja. アレルヤ

Text: Psalm 80,1 97, 6                    

                                

Jubilate Deo SWV 276 <主を歓呼せよ>

Jubilate Deo in chordis et organo, 琴と竪琴を奏でて主を歓呼せよ

in tympano et choro. 太鼓と合唱で主を歓呼せよ

Cantate et exultate et psallite sapienter. 歌え、歓声をあげ、賢く琴をかき鳴らせ

Alleluja. アレルヤ

Text: Psalm 150, 4

シンフォニエ・サクレ第一巻の最後を飾る讃歌。コルネットとトランペットそれにファゴットという3種の管楽器が使われた贅沢な音色の中で新月の祭りを言祝ぐ男声3人(TI,TII,B)それに通奏低音。すでに「3」という数字に「祭り」という行事の持つ神事的色彩が示されている。第19番/第20番は連作。

TI 細川裕介  TII 星野正人  B 石塚正 Corn 細川大介 Trba 中村孝志 Fg  森本敏嗣  

Bc 大軒由敬(Vc)  石原輝子(Org)  Cond. 淡野太郎    

         

6.Meine Seele erhebt den Herren SWV 344<我が魂は主を崇め>

SYMPHONIAE SACRAE II  Nr.4 シンフォニエ・サクレ第二集 第4番

Meine Seele erhebt den Herren SWV 344 <我が魂は主を崇め>

Meine Seele erhebt den Herren わたしの魂は主を崇め

und mein Geist freuet sich わたしの霊は救い主である神を

Gottes meines Heilandes. 喜んでいます。

denn er hat die Niedrigkeit seiner Magd なぜなら主は身分の低い、この主のはしためにも

angesehen, 目を留めてくださったからです。

siehe von nun an ごらん下さい、今からのち

werden mich selig preisen. わたしを幸いな者として

alle Kindes Kind. 子らの子たちすべてが誉め讃えるでしょう。

Und seine Barmherzigkeit waehret immer fuer und fuer, その憐れみは代々限りなく

bei denen die ihn fuerchten. 主を畏れる者たちに及びます。

Er uebet Gewalt mit seinem Arm, 主は御腕で力を振るわれます。

Er streuet, die hoffaertig sind, 主は、その心根が傲慢な者たちを

in ihres Herzens Sinn. 追い払ってしまわれます。

Er stoesset die Gewaltigen vom Stuhl 主は権力者たちをその座から引き降ろし

und erhoehet die Elenden. 虐げられている者たちを高くされます。

Die Hungrigen fuellet er mit Guetern 飢えた者たちを善きもので満たし

und laesst die Reichen leer. 富裕なる者たちは空腹のままとされます。

Er denket der Barmherzigkeit 主は慈愛をお忘れにならず

und hilft seinem Diener Israel auf. その僕イスラエルを助けられます。

Wie er geredt hat unsern Vaetern, わたしたちの祖先に語られた通り

Abraham und seinem Samen ewiglich. アブラハムとその胤に対して永遠に。

Text: Lukas1, 46-48; 50-55

天使はマリアに言った。「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」この驚天動地の事態にマリア動ぜず「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と答えた。マリアは親戚のエリザベトを訪ねる。エリザベトものちのヨハネを身ごもっていた。このイエスとヨハネが母親の胎内ですでに相見えていたという場面も興味深いが、そのあとに感極まったマリアが主を讃えて歌うように捧げた祈りがここで歌われる<我が魂は主を崇め マニフィカト>である。なんといっても楽器の使い方が尋常ではない。マリアの語り歌う内容に従って次々に楽器の種類が変わり音型も変化する。早くもクリスマスを祝うといった雰囲気である。事実シュッツは<クリスマスの物語>においてこのような多種の楽器をふんだんに用いて場面場面を彩った。

S 淡野弓子  EchoI(S) 柴田圭子  EchoII 今村ゆかり

VnI 大野幸 VnII 林由紀子 TbI 武田美生 TbII 吉川久  CornI 中村孝志 CornII 細川大介

RecI 淡野太郎/中村孝志 RecII 細川大介  Bc 大軒由敬(Vc) 瀬尾文子(Org) Cond. 淡野太郎              

             

III.《絶望》                            

7. Was betruebst du dich, meine Seele? SWV 353<なぜうなだれるのか、わたしの魂よ>

SYMPHONIAE SACRAE II  Nr.13 シンフォニエ・サクレ第二集 第13番

Was betruebst du dich , meine Seele, なぜうなだれるのか、わたしの魂よ

und bist so unruhig in mir? なぜ落ち着かないのか?

Harre auf Gott, denn ich werde ihm noch danken, 神を待ち望め。

dass er meines Angesichtes Huelfe und mein Gott ist. 主はわたしの顔貌の助け、わたしの神。

Was betruebst du dich , meine Seele? なぜうなだれるのか、わたしの魂よ?

Text: Psalm 42, 12 

シュッツはこのテキストで5声と通奏低音のためのコンチェルトを書き、それは1639年に出版された<Kleine geistliche Konzerte 小教会コンチェルト集 第二集>に収められている。30年戦争のさ中のことで、宮廷楽団の奏者たちは皆出陣、そのため器楽は用いられておらず、通奏低音のみの支えである。

しかしここで歌われるコンチェルトの方は、2挺のヴァイオリンとソプラノ2声、通奏低音という編成で、同じ歌詞に作曲されたこの作品は、歌詞の扱われ方は両者ともほとんど同じで、両曲とも喋るテンポでリズムが決められている。が、このシンフォニエ・サクレでは、高音二人の歌い手に、同じく高音楽器のヴァイオリン2挺が加わるため「und bist so unruhig 落ち着かぬ」という言葉が強調される。曲は短いシンフォニアから始まる。歌い手の歌詞を先取りして、言葉のリズム通りにヴァイオリンは落ち着かぬ8分音符をせわしなく奏でる。このようなスタイルを ‘stile concitato 興奮様式’と呼ぶ。

シュッツは器楽を加えることによって、単に状況を映し出したり、言葉をさらに強調したりするばかりでなく、語り手の気付かぬ背景や内面を器楽の表現に託した。この曲では「Was betruebst du dich , meine Seele なぜうなだれるのか、わたしの魂よ」と歌う間、2声のヴァイオリンは、静かにひたすらに、そしてホモフォニックに歌手にピタリと寄り添う。歌手が気付かぬほどの音で。シュッツはここで、「悲しんでいる魂よ、お前はひとりではない」との言おうとしたのではないか。器楽は言葉を発しない。無言の雄弁を聴く箇所といえよう。

SI 今村ゆかり  SII 柴田圭子

VnI 二宮昌世  VnII 小穴晶子   Bc 大軒由敬(Vc) 瀬尾文子(Org) Cond. 淡野太郎                 

                      

8.Fili mi, Absalon SWV 269 <我が子、アブサロン>

SYMPHONIAE SACRAE I  Nr.13 シンフォニエ・サクレ第一集 第13番

Fili mi Absalon, fili mi. 我が子、アブサロンよ、わたしの息子よ

Quis mihi tribuat, ut ego moriar pro te! わたしがお前の代わりに死ねばよかったのだ!

Absalon, fili mi, Absalon! アブサロンよ、わたしの息子よ、アブサロンよ!

Text: 2. Buch Samelis, 19, 1

父ダヴィデに叛旗を翻したアブサロンは、ダヴィデの腹心に殺害される。ダヴィデは、謀反をおこしたとはいえ息子であることには変わりないアブサロンの死に身を震わせて泣きくずれる。シュッツはこの王の悲哀を描くために4本のトロンボーンと一人のバスを設定した。低音5声に通奏低音という響きは肚の底、いや地底の慟哭といった趣きを呈する。モンテヴェルディの<アリアンナの嘆き>とこの<我が子アブサロン>は初期バロックを代表するラメントの双璧ともいわれている。

Br 淡野太郎  TbI 中村孝志  TbII 武田美生  TbII 吉川久  TbIII 生稲雅威  

Bc 大軒由敬(Vc) 瀬尾文子(Org)  Cond. 淡野弓子

               

9. Herr, wie lange willst du mein vergessen SWV 416<いつまで主よ、私を忘れておられるのか?>

SYMPHONIAE SACRAE III  Nr.19 シンフォニエ・サクレ第三集 第19番

Herr, wie lange willst du mein vergessen, いつまで、主よ、わたしを忘れておられるのか。

wie lang verbirgest du dein Antlitz vor mir? いつまで御顔をわたしから隠しておられるのか?

wie lang soll ich mich aengsten いつまで怯えていなければならないのか?

in meinem Herzen taeglich? 日々不安なわたしの心の中で。

Herr, wie lang soll sich mein Feind 主よ、いつまで敵は

ueber mich erheben? わたしに向かって思い上がるのか?

Schau doch und erhoere mich, Herr, mein Gott! 主よ、神よ、私を顧み聴いて下さい!

Erleuchte meine Augen, わたしの眼に光をお与え下さい

dass ich nicht im Tod entschlafe, わたしが死の眠りにつくことがないように。

dass sich mein Feind nicht ruehme, わたしの敵を称賛することがないように、

er sei mein maechtig worden, 敵が強いと思わないように

und meine Widersacher sich nicht freuen, わたしに敵対する者が喜ぶ事のないように

dass ich niederliege. わたしの力が弱まった時に。

Ich hoffe aber drauf, dass du so gnaedig bist; わたしは望みます、あなたが慈愛深いことを。

mein Herz freuet sich, わたしの心は喜び踊ります、

dass du so gerne hilfst. あなたが喜んで助けて下さるので。

Ich will den Herren singen, dass er so wohl an mir tut. わたしは主に向かって歌います。あなたが眞に善きこと をわたしに為して下さる、と。

Text: Psalm 13, 2-6

2挺のヴァイオリンと4挺の中・低音の弦、それに6声の声楽アンサンブル、通奏低音という編成。28小節に及ぶシンフォニアは、らちのあかぬ「繰りごと」といった音型を幾度も繰り返す。ソプラノが「Herr, wie lange willst du mein vergessen いつまで、主よ、わたしを忘れておられるのか。」と歌い出す。通奏低音は一音(E)をただ伸ばしたまま動こうとしない。孤独と絶望とはこのことか、と言いたい程の、寂寥感に溢れた場面である。アルト、テノールI,

テノールIIとあとに続くが、最後はバス一人が残される。この間器楽は沈黙。

次の場面では「Schau doch und erhoere mich, Herr, mein Gott! 主よ、神よ、私を顧み聴いて下さい!」の言葉が3拍子で歌い出され、神との絆が復活したかに見える。

再び器楽が登場するのは「Ich hoffe aber drauf, dass du so gnaedig bist わたしは望みます、あなたが慈愛深いことを。」からである。テノールのソロに全器楽が同感の意を表する。徐々に他の声部も加わり最後は6声に。器楽を交えた総奏は12(3×4、神と人との和解)声となり「Ich will den Herren singen わたしは主に向かって歌います。」と歌う。

SI 淡野弓子  SII 松井美奈子  A 依田卓  TI 細川裕介 TII 大森雄治 B 中村誠一

VnI 小穴晶子  VnII 大野幸  VnIII 林由紀子  VaI 谷口勤  VaII 二宮昌世  

Bc 大軒由敬(Vc)  瀬尾文子(Org)  Cond. 淡野太郎    

         

IV.《祈り》

10. Vater unser, der du bist im Himmel SWV 411<天にましますわれらの父よ>

SYMPHONIAE SACRAE III  Nr.14 シンフォニエ・サクレ第三集 第14番

Vater unser, der du bist im Himmel, 天にましますわれらの父よ

Vater, geheiliget werde sein Name, 父よ、御名を崇めさせたまえ

Vater, zu komm dein Reich. 父よ、御国を来たらせたまえ

Vater, dein Will gescheh, wie im Himmel, 父よ、御心の天になるごとく

also auch auf Erden. 地にもなさせたまえ

Vater, unser taeglich Brot gib uns heute, 父よ、われらの日用の糧を今日も与えたまえ

Vater, vergib uns unser Schulde, 父よ、われらの罪を赦したまえ

als wir vergeben unsern Schuldigern. われらに罪を犯すものをわれらが赦すごとくに。

Vater, fuehre uns nicht in Versuchung, 父よ、われらをこころみにあわせず

sondern erloese uns von dem Uebel. 悪より救いたまえ

Vater! Denn dein ist das Reich, das Reich ist dies Kraft, 父よ! なぜなら汝は国、国は力、

die Kraft und die Herrlichkeit in Ewigkeit, Amen. 力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン。

Text: Das Vaterunser in der deutschen Fassung von Martin Luthers(Matth. 6, 9-13) 

イエスは「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ」と話され「だから、こう祈りなさい」とわたしたちに祈りの言葉を教えて下さった。わが国ではこの祈りを「主の祈り」といおうが、ドイツ語では

‘Vaterunser’と言ってルターのドイツ語訳が用いられている。シュッツはこの祈りの最初に必ず‘Vater 父よ’の言葉を置いて作曲した。この曲ではこの‘Vater’の呼びかけが全体のテーマなのだ。

冒頭、通奏低音ですら音を発しない、まさに虚空といった空間にソプラノがたった独りで‘Vater’と歌い出す。ソプラノ1声対4声のアンサンブルが掛け合いながら‘Vater’‘Vater’と繰り返す。言葉が頌栄に進むと器楽と合唱が加わり華麗な「アーメン」のパラフレーズとなる。冒頭の独りの祈りが教会の、人類全体の祈りへと変わって行く。

S 柴田圭子  Ms 羽鳥典子  TI 依田卓   TII 淡野太郎  B 石塚正

CornI 中村孝志  CornII 細川大介  Bc 大軒由敬(Vc)  松永秀幸(Kb)  石原輝子(Org)

Chor(Tutti)  シュッツ合唱団 S(VnI) 小穴晶子/大野幸  A(VnII) 二宮昌世/林由紀子  

T(Va) 谷口勤  B(Fg) 森本敏嗣  Cond. 淡野弓子     

                        

11.Nun danket alle Gott SWV 418 <今、万物の主に感謝!>

SYMPHONIAE SACRAE III  Nr.21 シンフォニエ・サクレ第三集 第21番

Nun danket alle Gott, さらばいま万物の主に感謝せよ!

der grosse Dinge tut an allen Enden, 主は地の至るところに大いなることをなせり。

der uns von Mutterleibe an 母の胎より生まれし時より

lebendig erhaelt 生き生きと支え

und tut uns alles Guts. われらに善き事をなしたまえり。

Er gebe uns ein froehliches Herz, 願わくは主よ、喜ばしき心を与えたまえ

und verleihe immerdar Friede, とこしえの平和を与えたまえ

Friede zu unser Zeit in Israel. われらの日にイスラエルを平和ならしめよ。

Und das seine Gnade stets bei uns bleibe, 願わくは主の恵みの常にわれらに留まらんことを

und erloese uns, solang wir leben. われら生きる限りわれらを救いたまわんことを。

Alleluja. アレルヤ

Text: Sirach 50, 22-24

シンフォニエ・サクレ第三集の最後を飾る讃歌。6声のソロアンサンブルに4声の合唱このコンチェルトは、恐らく30年戦争終結を祝って1650年7月22日、ドレスデンで演奏された、というのが通説のようである。「Nun danket alle Gott, der grose Dinge tut an allen Enden さらばいま万物の主に感謝せよ! 主は地の至るところに大いなることをなせり。」の部分は3拍子で途中リフレインされ全部で4回歌われる。

SI 柴田圭子  SII 淡野弓子  A 羽鳥典子  TI 星野正人  TII 細川裕介  B 石塚正

VnI 小穴晶子  VnII 林由紀子  CornI 中村孝志  CornII 細川大介 

Bc 大軒由敬(Vc)  松永秀幸(Kb)  石原輝子(Org)

   Chor(Tutti)  シュッツ合唱団  A(TbII)武田美生  T(TbII)吉川久  B(TbIII)生稲雅威 

S(Vn) 大野幸  A(VaI) 谷口勤  T(VaII) 二宮昌世  B(Fg) 森本敏嗣  Cond. 淡野太郎                    

      

                   [テキスト私訳 淡野弓子]                     

                      

おわりに

 シュッツ合唱団40年の歩みの中で1998年から2008年までの10年間は誠に特別な意味を持っている。10年前の1998年は本郷教会の<賛美と祈りの夕べ・Soli Deo Gloria>が始まった年なのだ。土曜日の夕方6時に始まり40分から長くても1時間で終わるささやかな音楽のひととき、最初はシュッツ合唱団のア・カペラが主であった。

 徐々に器楽奏者が集まり、2003年にはその名もユビキタス・バッハとして、バッハの教会カンタータが演奏されるようになった。教会暦にそって演奏しよう、とのアイディアは、バッハ自身が教会暦に従って毎週1曲ずつ書いたカンタータをなるべく同じような時期に演奏し、そこから僅かでもわれわれの日常の歩みとの接点が見つけられたら、との願いからであった。

 シュッツを専門とするシュッツ合唱団の歌い手たちはカンタータを通して、バッハのアイディアや信仰に触れる機会を得た。またアリアのソロにも挑戦し、独りで歌う、ソロアンサンブルをする、といった方向にも実力をつけた。ユビキタス・バッハの奏者たちも時々現れるシュッツの音楽の深さ、強さに目を丸くした。

 実際、<シンフォニエ・サクレ>という器楽付きの声楽作品が68曲あるといわれても、それぞれの曲の編成が色とりどりなので、一回に演奏出来る曲は限られたものになり、なかなかシュッツの意図を把握するには至らない。が、バッハのカンタータとは1曲1曲に必要な歌い手と器楽奏者が、通奏低音と合唱を除いて毎回異なるという代物、この5年間、実に多くの器楽奏者たちがこのバッハ演奏に参加して下さった。とも角今夜、ここででさまざまな楽器を必要とするシュッツのコンチェルトを11曲もまとめて演奏出来るということは、ここで知り合った奏者各氏の力なくしては考えられない事なのである。なんという恵み、なんという喜び、廣田先生を始めこの場をお支え下さる本郷教会の皆様、お集まりくださる皆様、そしてユビキタス・バッハ、シュッツ合唱団のメンバー諸姉諸兄に心よりの感謝を! S.D.G.


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