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ムシカWeb通信


■ 2008/07/26 内尾くんのこと・断想〜シュッツ<音楽による葬送> を巡って〜

 内尾くんが昨年の七月初めにこの世を去り、われわれの前にあの細身の、どちらかというと青年というよりは少年といった感じの、あの愛らしい姿を見せなくなったのはまぎれもない事実である。しかし私は、内尾くんの生命がその姿と同時に消滅してしまったと思ったことはない。このことは、日々ハインリヒ・シュッツの音楽に接していて、ますます強くなり、いまや確信の域に達している。

 内尾くんが心惹かれていた音楽の一つであったシュッツのレクイエム<Musikalische Exequien 音楽による葬送>では、シュッツが人の生命と死をどのように捉えていたかが、厳粛に、真摯に、麗しく、またあるときは諧謔的に、まるで一編の絵物語のように分かり易く説かれている。歌われるテキストはこの音楽の依頼主、ハインリヒ・ポストゥームス・フォン・ロイス公の選択になる聖句とコラールの歌詞であるが、シュッツはこれらの言葉を見事に綴り合わせ、人が生まれてから死ぬまでの、そして死んだ後の姿を、今、眼前にまざまざと映し出すように、音楽で描き切ったのであった。

ハインリヒ・シュッツ

I. ドイツ語葬送ミサの形式によるコンチェルト

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。」(1) 

この世に生まれる前、わたしはどこにいたのだろう? 受胎以前、わたしは誰に属していたのだろう? いや、ここに「主は与え、主は奪う」と記されているではないか。これ以上に明らかな所在は存在しない。

「キリストはわが生命、死はわが利益。」(2)

内尾くんは「主」の許からこの世へやって来た。ご両親の愛に包まれて「人」として生きた20年11ヶ月が過ぎ、再び「主」の腕の中に還っていった。

「まことに神はこの世を愛された。その独り子を賜うほどに。」(4)  

シュッツ合唱団の「学びと実践」は、ずっとこのイエスの言葉とともにあった。言葉の意味を頭で理解する以前に、シュッツの音楽とともにわたしたちの身体の中に住み着いた。幸いなことと言わねばならない。内尾くんも一年数ヶ月という短い期間ではあったが、シュッツの音の中で魂を養われ、少しずつではあったが身体の線も真っ直ぐに変わっていった。彼の声は優しい音色のバリトンで、いつでも歌い方が丁寧であった。彼が入団後初めてこの Soli Deo Gloria に出演した日にも、こののテキストによるモテットを歌ったのだった。当日の内尾くんのレポートの一部をご紹介したい。

 

 本日5/6(日)は今年度はじめての Soli Deo Gloria、そして僕にとっての初本番となりました。

演奏したのはシュッツの宗教合唱曲集から Nr.9 「主よ、御もとに身を寄せます」 とNr.12 「神はその独り子を給うほどにこの世を愛された」そしてバッハのカンタータ第104番「イスラエルの牧者よ、耳を傾け給え」(1724年)です。[中略]

シュッツのモテットは素晴らしい演奏となりました。シュッツを歌いはじめて思うのは、かつ

て音楽とは神のみ言葉を媒介する手段の一つであって、それ自身で完結したものではないということ。それが宗教曲の難しさであり、また誤解されやすいところだとも思います。したがってテクニックだけで宗教曲を(本質的な意味で)演奏するのは無理だと気付かされました。哲学的にも科学的にもアプローチしていかなければならない。道は長い…。    

                                

 「わたしたちの国籍は天にあります。」(6) 「ここ地上は至るところ涙の谷」(6) 

 まるで、今ここで内尾くんが喋っているような言葉だ。天は死んだ後の住処なのか? 天地はもともと一つのものではないのか? 地上に住む我々が天と地を分けているのでは? 生きているわれわれの言葉そして表現は貧し過ぎる。内尾くん、喋り続けてね。そしてわたしたちに天国の言葉を教えて下さい。

 「義人の魂は神の手にあり、もはや苦しみを感じることはない。愚かな人々の目には、かれらは死んだ者と映り、その別れはつらいものとされ、あの世への旅立ちは破滅と思われた。しかしかれらは平安の中にいる。」(9)

 「しかしかれらは平安の中にいる」今は素直にこの言葉を信じよう。

 「たとえわたしの身体と魂が衰えてもあなたは神、常にわたしの心の慰め、わたしの分け前です」(11)

 一昨年の11月、私たちは東京カテドラルでこの<音楽による葬送>を歌った。この重唱部分のバスは内尾くんが歌うことになっていた。が、彼は直前のリハーサルに来なかったので、他のメンバーに代った。本番には辛うじて間に合った。あとで遅れた理由を尋ねると、12月のドイツ演奏旅行のためのパス・ポートの手続きで時間を取られたとのこと。思えば2006年という年、即ち内尾くんが共に歌ったこの年は非常に忙しかった。9月にはバッハの<ロ短調ミサ>の公演、シュッツの<十字架上の七言>のレコーディング、そして11月のリストとシュッツによる<レクイエムの集い>、終るとすぐにドイツでのプログラム、シュッツ、メンデルスゾーン、ディストラー、バッハの練習が始まった。出発直前まで内尾くんの健康状態は懸念されていたが、なんとか皆と一緒にドイツに到着、コンサートを歌い切った。最終日はバッハの<クリスマス・オラトリオ>だった。ハイルブロンのハインリヒ・シュッツ合唱団と共に歌った。彼は一年足らずで合唱の重要なレパートリーをほとんどを歌ってしまったのではないか?

 「われらがいのち、七十年、長らえたにせよ八十年、その誇るところ悲しみと勤労のみ。」(12)

 葬儀の音楽の中に漂うユーモア。この二人のバスの掛け合いのリズムには思わず顔がほころぶ。本郷教会の日曜礼拝で、ある日後ろから、落ち着いたバリトンで賛美歌を歌う人の声が聞こえた。新しい参会者に違いない。なかなかしっかりした歌い方で、わたしは初老の紳士を想像していた。なんとそれは内尾くんだった。わたしは彼のレッスンではいつも、「君はまだ若いんだから、年相応の声で歌いなさいね」と注意はしていたのだが。脳の働きが音色を決めるとするなら、彼の脳内はすでに五十歳は越えていたのではないか。

 「わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ、後の日にわたしを地の中から目覚ませ、わたしはこの皮膚に包まれたまま、この肉にあって神を見るだろう。」(13)

「あなたが死から復活されたのですから、わたしも墓に留まることはないでしょう。」(13)

「墓に留まることはない。」との宣言は素晴らしい。この一連の音楽を歌うと、内尾くんを貫く永遠の生命がごうごうと音を立てて渦を巻いているような気がしてくる。                    

                                 

II. モテット 二重合唱

「主よ、あなたさえこの世にあれば、わたしは天にも地にもなにも求めません。」(15)

 二重合唱によって、二つのものが対比される。天と地、生と死、男と女、対比され乍らもその二つは融和し一つのものとなる。一つになりながらも反対の極にあるそれぞれの性質は失われない。創造主は音に「律」を与え、人間がその「律」の秘密を知り、明らかにして行くことを望んでいる。                          

                                

III. シメオンの頌歌

「主よ、今こそあなたはこの僕を安らかに去らせてくださいます。」(16)

「主にあって死ぬ者は幸いである。」(17)

この音楽も二重合唱仕立てである。地中に埋葬される柩を取り囲んだ人々が歌う五声の第一合唱と、身体を離れ、二人の天使に付き添われて天に昇る「浄められた霊」との三重唱がともに響き渡る。第一合唱の言葉と音楽と第二合唱のそれは全く異なったものであるにも拘らず、妙なる一致を見る。生者と死者、身体と霊魂、地上と天国は一なる存在として響き合う。内尾くんの声が聴こえる。 

2008・7・26 たんの・ゆみこ


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