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ムシカWeb通信


■ 2008/02/08 おん礼 淡野弓子

 2月4日(月)リサイタルが無事終了致しました。まことに有り難うございました。もっと早く皆様にご報告と御礼を申し上げたかったのですが、生まれて初めてといって良い程のお花と贈り物に囲まれ、翌日は呆然自失、あたまの中は Wong さんと武久さんの音楽が鳴り止まず、遂に夕方身体に異変が・・・。先週の水曜日に武久さんを襲ったノロ・ウイルスが今度は私に。激しい腹痛と××。立っている事も座っている事も出来ず、ただ横になる。これが水、木と続き、断食の御蔭で4kgが何処かへ。

 前日2/3(日)の朝、東京は雪。幼稚園の入園試験の日以来、大事なことがある日には必ず大雨に見舞われている私、思わず「あれ、わたし、今夜歌うの?」と思い、ご丁寧に「やれやれ、どなたも見えないわね。この天気では」とがっかりしたのでした。が、その日は日曜日、礼拝でオルガンを弾く日でした。滑らないように気を付けながら教会へ。私の頭がリサイタルで満杯だったのを、サァーッと覚ましてくれたような見事な雪でした。

 翌2/4(月)空は見事に晴れ上がり、70歳にしてやっと「雨女」を返上、御蔭様でルーテル市ヶ谷センター一杯のお客様とともに、誕生日記念のリサイタルを無事歌い終えた次第です。前半は雰囲気造りに四曲のグリーグの歌曲を選び、ブロックごとに武久さんと Wong さんの歌を数曲ずつ歌いました。この構成に落ち着く迄には随分時間がかかりましたが、おかげで、今の私がどうやら歌えるドイツ歌曲はこれとこれ、ということが分かり、あれこれ考えたことは無駄ではなかったようです。また 当然とはいえ、Wong さんと武久さんの両方の音楽に fit する作曲家とその作品を探すのも大変でした。重すぎても、軽過ぎてもまずく、真面目過ぎても、おちゃらけでも駄目、しんみりして情景が広がり、聴き手にそれほどの負担をかけないドイツ歌曲というものはあるようでなかなか無いものです。

 後半の「岡本かの子」ですが、小説を歌う、というアイディアはどうして思い付いたのか自分でもよく分かりませんが、思い起こせば藝大生のころ、水野修孝(主にチェロ、時に唸る)、塩見允枝子(ピアノを弾きながら声を挙げる)、小杉武久(ヴァイオリンを弾きながら時に「でかい袋に入って動いてみよう」などと言う)さん達と水野さんの家で、そこらへんにあるものは鍋のふたまで叩いたりしながら、ヴォーカリーズに始まって中原中也の詩などを次から次へと即興で歌ったのが原体験だと思います。このグループはモダンバレエを踊るダンサーの動きを見ながら即興で音を付けたりもしていました。私にとっては当時最も心身の解放されるひとときでしたが、西洋音楽のなんたるかも知らないのに自分勝手にやっていてもと思ったのと、磯谷威先生に合唱を教えるように命令されたのが時期的に重なったのだと思いますが、それ以来超前衛から一挙にパレストリーナの世界に飛び、気がついたら今になっていたのです。水野、塩見、小杉さんは、現在それぞれにこの即興の世界を広げ、堂々たる作曲家として活躍して居られます。

 その後瞬く間に時が過ぎ、再び即興にふと心が揺らいだのは今から15、6年前、武久さんから紹介して戴いた Wong WingTsanさんに山川弥千枝の詩に曲を付けて戴いたときでした。その時に Wongさんの<Moon Talk>というCDを聴き、非常に心の休まる独特の優しさに溢れた演奏に惹かれ、このようなピアノの即興演奏と幻想譚のようなものを一緒に聴くのも面白いのではと思ったのが小説を歌う、というアイディアの始まりです。そこで岡本かの子の<小町の芍薬>('94年に初演)が誕生しました。

 今回の<扉の彼方へ>は登場人物一人一人に異なった音楽のスタイルが与えられており、語り手の「私」はほとんど即興の旋律、夫の「及川」には12音で歌われます。「私」前の恋人の「珪次」はロックとブルースでした。鍵盤もピアノ、パイプオルガン、リードオルガン、ToyPianoなどと豪華で、特にリードオルガンの効果がなかなかのもので驚きました。最後に歌った Wong さんの<とびら>(オルガン伴奏・間奏はピアノとオルガン)は、たった五つの音で出来ている旋律とは思えない大きな広がりと深みのある音楽で、まるで賛美歌のようであった、と皆様に喜んで戴けました。また嬉しいことに、企画とプログラム構成を好意的に受け取って下さった方が、沢山のメールやお手紙を下さいました。今日は長くなりますので、また日を改めて皆様の感想をご紹介させて戴きます。


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