久々に初期バロックの世界に。8/11、12の午後、上荻の本郷教会でモンテヴェルディの「聖母マリアの夕べの祈り」とシュッツのシンフォニエ・サクレからコンチェルトの練習をしました。この二人のエネルギーは桁はずれでしかもアイディアが強烈、暫し暑さを忘れるほどでした。
と、ここまではよかったのですが、8/15(水)終戦記念日の日の練習は悲惨でした。五反田のクロイツ教会というところにはクーラーがなく、首の長い扇風機が一本、という礼拝堂、なんといっても音の響き方が素敵なので何十年もお世話になっているのですが、ドイツ人教会で、ドイツの方は夏は東京にいらっしゃらないらしく、クーラー云々は私たち夏も練習を休まない輩のみの問題、30名余の大人がそれぞれ手に団扇を持ち、「これが一番」などといい乍らパタパタパタ・・・・。私はと言えば「欲しがりません勝つまでは」の言葉が瞬時に出て来る悲しい戦争体験者の一人ですから、水分補給も忘れて3時間がんばった結果、10時過ぎには「なんか頭がいうことをきかないのよ」という状態に。息子の太郎が「母さん、水、水、スポーツドリンク!」と叫ぶので、ポカリスウエットを。こんなに水分とは肌身に沁みるものか、と感激。大げさでなく命拾いをした感じでした。翌日の練習もクロイツでしたが、ここでは途中で水を飲み、無事家に辿り着きました。
さて、モーザーという大音楽学者の書いた「ハインリヒ・シュッツ」という大著の中で「モンテヴェルディは錬金術師であった」という一行に刺激され、ここ十数年何十冊という関係書物を読み、「聖母マリアの夕べの祈り」の研究を続けているのですが、進めば進む程道は迷路また迷路、出るに出られずという状態が続いています。これまでに二度行なった公演(1990年・武蔵野市民文化会館大ホールと1994年・東京カテドラル)は怖いもの知らずで突進、今考えると・・・・。まあこう言ってしまっては身も蓋もないのですが、考えて分からない事でも、音にするとピンと来る、ということが実際には良く起こるので、今回も演奏するのですが。
この曲は「主よ、早く来てわたしを助けてください」という切羽詰まった人間の叫びに答えて主が人間界に人間の身体を持った神、即ちイエス・キリストを誕生させよう、という壮大な愛の計画が語られており、最初は暗示的なイメージに過ぎなかったものが、徐々に時や場所、誰を母とするか、など具体的な話に変化し、遂にマリアの胎内でイエスが踊るような場面まで音にされ、感極まったマリアの感謝の歌「マニフィカート」で終わるという作品です。このようなプロセスを、錬金術の言う「卑金属が金となる」過程と重ね、暗く閉ざされた各々の人の心に本当の「キリスト」が芽生えるまでの、個々人の開眼への階梯と捉える、という解釈は、実はモンテヴェルディ、シュッツ、ブクステフーデ、さらにはバッハへと受け継がれた精神の地下水脈でもあるのです。
8/19(日)午後5時より上荻の本郷教会サマーコンサートでこの作品を演奏致します。また、シュッツのコンチェルトも数曲用意致しました。暑気払いをかねてお越し戴ければ幸いです。