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ムシカWeb通信


■ 2007/02/02 12月18日(月)ライプツィヒへ

 バスでライプツィヒへ。あっという間の移動でした。ライプツィヒはドレスデンと異なり街はまだ多くの場所がなかば崩壊、という感じでしたが、ヨーロッパ一の終着駅ライプツィヒ中央駅は、これは凄いものです。20数番線の列車が各国、各方面へ向けて出発すべく同一平面上に並んでいます。その下の階はモール、レストランなどなど、ここで日常のほぼすべての品が手に入ります。

 わたくしたちはまずメンデルスゾーン・ハウスを見学しました。ここはメンデルスゾーンの住処でしたが、荒廃がひどく、心を傷めたクルト・マズーア氏が復興を呼び掛け、世界中の善意が実って今は清潔に保存されています。メンデルスゾーンは裕福で教養のある家庭に生まれ、幼いころより見るもの、聴くもの、会う人、話す人すべて第一級、という環境に育ちました。史上稀に見る清冽な人柄に加え、彼の音楽は、パレストリーナ、バッハ、ヘンデルらの作品に学んだ堅固な基礎の上に、まっすぐな眼差しで、現実よりやや遠くを見るといった親しみやすい叙情性を湛えています。ただ彼の死後その作品が演奏されるにあたって、時代は後期ロマン派へと向かい、その演奏スタイルが、本来メンデルスゾーンの音楽の持つ古典性がくずれて行く方向へ進んだことが災いし、真価が発掘されまでに百数十年が経過しました。ピリオド楽器の研究とその使用もバロック期の音楽に留まらず、古典派から初期ロマン派にかけての音楽を洗い直してくれることでしょう。

 展示されていた楽譜のひとつに、<エリア>第二部の冒頭、ソプラノ・アリア「Hoere, Israel イスラエルよ、聴け」があり、その始まりの fis 音は当時の名歌手ジェニイ・リンドの最も美しく響く音だったことから、彼女のために fis からの歌い出しになった、という説明でした。

  さてこの日はこの街の改革派教会(LEIPZIG Ev.REFORMIERTE KIRCHE)でコンサートです。ここは当時メンデルスゾーンが会員として礼拝に通っていたという教会です。

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  ライプツィヒに住む淡野太郎が何度か歌わせて戴いて、その響きに魅せられ、是非シュッツ合唱団の皆に体験して欲しいと強く希望し、妻のさやか(ライプツィヒ大学で勉学中)と共に準備してくれたコンサートです。すべてが一からの手造りで、わたくしたちとしても、このような形のドイツ公演は始めてでしたから、いったいお客様が何人来て下さるのだろう、という心配のなかでのリハーサルでした。その日の朝刊に「今夜のおすすめ」として紹介された記事が頼みの綱、しかしこういう経験もしてみるもの、たとえ三人の聴衆でもわれわれは良い演奏をしよう、との覚悟も決まりいよいよ開演です。

 「もう100人は来ています」との伝言にやっと気持ちも楽になり入場です。なんと教会は一杯でした。まずはメンデルスゾーンに心からの敬意を表して彼の8声の詩編43<Richte mich, Gott 神よ、あなたの裁きを>を歌いました。この時の感激を忘れることはできません。それは独特の安心感を伴ったものでした。メンデルスゾーンが良く識っていた響き、その響きをイメージして作曲したであろう「その音」が聴こえてきたように思いました。

 続いてオルガンの伴奏でシュッツの二重唱曲を二曲演奏、羽鳥典子、永島陽子の「おお、愛する主なる神よ」、淡野桃子、淡野太郎の「今日キリストは生まれ給いぬ」です。オルガンは正面のバルコニーに据えられ、シュッツ合唱団のメンバーで、今はベルリンのフンボルト大学に留学中の瀬尾文子が弾きました。バルコニーからの歌声も礼拝堂の中をゆっくりと旋回するような響きで非常に聴き良かったです。

 そして、ディストラーの<クリスマスの物語>です。難曲ゆえの心配はあったものの、皆の気持ちはいつになく落ち着いており、ひっきりなしにやって来る難所もことごとくクリア、一体どのようなお恵みのなかにわたくしたちは歌っているのだろう、という感じさえした演奏でした。この曲は東京(本郷教会)、ドレスデン(プローリス)、ライプツィヒと歌い継いで来たわけですが、ここ、改革派教会が最も作品にマッチした響きであった、とは三回とも聴いてくれた蘆野ゆり子さんの感想です。

 聴き手の方々は、どなたも率直な人間性を窺わせる表情のなかに考え深そうな眼が光っており、ただものではないという感じでした。今現在、詳しく説明することは難しいのですが、わたくしは、長い東独生活というものを体験した人々にディストラーの音楽を是非とも聴いてもらいたい、という願いがあったのです。その願いは達せられたように思います。数日して太郎・さやかのもとに寄せられた感想はどれも感動、喜びを表したものであったとのこと、またドイツ語の発音に対するお褒めの言葉が目立ったとのことでした。この発音については、なによりもまずアグネス・ギーベル先生に感謝です。彼女の鬼のような訓練は今思い出しても身の毛がよだちますが・・・。

 夜も更けてから皆で太郎夫婦の住処を訪問、ゆり子さんとさやかが準備してくれたクリスマス・パーティでした。往きは例の中央駅を最初から最後のレーンまで歩き、そこから更に縦に200メートルぐらい行ったところから出発する S-バーンに乗るべく、最後の方は走りに走ってやっと間に合ったのですが、帰りは電車の時間を間違え、やけに広い深夜の道を歩き、耐えきれなくなった人は Taxi に乗ってホテルに。かなり強烈なライプツィヒ体験でした。


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