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ムシカWeb通信


■ 2011/04/14 桜、受難楽、そして地震

 4/11(月)午後1時すぎ、カテドラルの聖堂に入ると、リストの《十字架の道行》のなかの、泣き乍らイエスのあとに従いていった女たちの場面が聴こえてきた。ああ、なんという音色! オルガニストの椎名雄一郎がすでにオルガンの音栓を配合していた。「正にその通り」以上の音彩である。聖堂もオルガンもリストに合っていると彼も喜んでいた。

 2時、シュッツ《ルカ受難曲》の練習。50分立ったままの曲なので、ここ数日合唱メンバーは声もさることながら脚力を問われていた。福音史家、イエス、ピラトなどの単旋律のやりとりを、指揮しすぎてもいけないが、なにもしないでいると身体が音楽から離れてしまいそうなので、少し腕を動かす。この部分は完全にグレゴリアンの棒であるが、合唱部分は拍節のはっきりした指揮となる。シュッツの音楽の中にいると、イタリア的な麗しい旋律の流れとハキハキしたドイツ語のリズムが互に絶妙なバランスを取り合って、腸や心臓の動きを活発にし、身体の軸を整えて行く。シュッツの成した仕事の大きさを改めて知る。

 リスト《十字架の道行》のゲネプロ。オルガンのみの場面の音楽を純粋にオルガンのみで聴く。6年前に演奏した時は留(りゅう)から留への道行きを合唱団も共に歩き、ダンスで表現するという演出であったので、どうしても動きに目を取られていたことに気付かされる。今回音楽に集中してみると、オルガンの音栓配合によっては登場人物の着ていた服の布の様子までもが聴こえてくる。イエスが倒れるたびに女性たちがスターバト・マーテルを歌うのだが、1回目、2回目、3回目と女声の数を絞り、最後は3人になった。これはこの日に指揮者が決めたことだったがなかなかの効果だ。

 受難楽を2曲も演奏するのであるから、緊張のうえにも緊張が重なるとはいえ、本番への期待はかなり高まっていた。5時過ぎリハーサルが終わり外を見るとひどい雨。さっきまではうららかな陽光に桜花という光景が一変している。自分が伝説的な雨女であることを忘れていた。雨は雷を伴い激しくなる一方である。

 5時20分ごろ、なんと揺れた。本当に地震が来た。あの大きなカテドラルが揺れる、揺れる・・・6時半開場。普段よりゆっくり少しずつという感じでそれでもお客様が・・・予断を許さぬとはいえ感謝極まりない。

 7時、座席に着かれた方々の落ち着いた雰囲気。気持ち少な目かとは思ったが、音楽を始めるには申し分のない気が漲っていた。

シュッツが始まる。簡素な造りとはいえ、内に秘めた心のエネルギーは巨大である。鳴り続けて来た響きという感じがする。終曲の ,,ewigen, ewigen Leben 永遠の、永遠の生命" という言葉が遠い彼方の絵空事でなく、「今」を生きる音として感じられた。

 後半、いよいよリストだ。私自身リストは歌い手として参加したので大分気持ちに余裕が出て来た。太郎の指揮は確信に満ち、リストに対する敬愛がそこここに感じられた。指揮者の作品を大切に思う気持ちは非常に大切である。演奏側に回るとそれが良く分かる。

 3度目のスターバト・マーテルが今村ゆかり、柴田圭子、影山照子の3重唱で始まった。哀切の響きに茫然とした。演奏者と聴き手は一つだった。知の部分でも情においてもこれほどに時空を共有し合えるとは・・・もの凄い揺れが来た。指揮者は? 当然のように次の曲のオルガニストに合図を送っていた。オルガニストがゆっくりと弾き始める。イエスの衣が剥がれて行く悽愴な場面が続く。誰一人身じろぎもしない。「Crucifige! 十字架につけろ!」の怒号。その後イエスは只一人「エリ、エリ、ラマ サバクタニ? わが神、わが神、何故私をお見捨てになったのですか?」の言葉。イエス役 浦野智行の声も透明で淡々としていた。地震は治まっていた。あとで尋ねると指揮者も実際に歌っていた歌い手も揺れたことには全く気付かなかったとの返事であった。

 終演後多くのお客様が「来て良かった」「聴いて良かった」と仰って下さった。いつものことながら、今回もまた「格別のお客様」との感を深くした。ただただ感謝である。皆様、ほんとうに有難うございました。

 


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