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ムシカWeb通信


■ 2010/05/21 ご報告 J.S.バッハ<マタイ受難曲>公演

 遅ればせ乍ら去る3/20に行われた「2010年受難楽演奏会」のご報告を。                                               

 J.S.バッハ<マタイ受難曲>

 2010/3/20(土)午後3時開演 

 保谷こもれびホール メインホール

 西武池袋線の保谷駅から徒歩15分のこもれびホールは、郊外とあって、ホールの玄関口までが広々しており、周りには高層建築もなく、のどかな雰囲気でした。午前中から男性メンバーがせっせと働いてくれ、舞台の組み立てなども自分たちで行いました。今回通奏低音で用いることとなったジルバーマン・スタイルのフォルテ・ピアノも早々と到着し、武久さんは床に座り込んで鍵盤を膝に乗せ調整に入っていました。準備の段階からすでに「鄙のマタイ」「自分たちのマタイ」という感じで、なにか新しいことが始まるという素直な喜びが伝わって来ました。

 私は舞台の袖で聴きましたので、真っ当な感想とは言えないかも知れませんが、印象に残ったことを幾つかお伝え致します。

●福音史家ファンダステーネ氏の語りは、内省と表出、ドラマと祈りの双極を激しく行き来し、場面場面の出来事が絵を見るよりも鮮やかに、演劇さながらに迫ってきました。この表現と今回のジルバーマン・スタイルのフォルテ・ピアノは非常に良く合っていたと思います。武久源造さんは語られる人物たちの心の動きは無論のこと、彼らの一挙手一投足、その時の光の射し具合や天然現象をすべて鍵盤上で聴き手に伝えたのでした。それは微に入り細にわたる、許容範囲ギリギリの描写でした。

●オーケストラも合唱もまたソリストも2群に分かれているということは、その対比の妙がひとつの興味の的となります。今回は独唱者の声の色が非常に明確に性格付けされていました。ソプラノは、やや抒情的でドラマティックな淡野桃子と軽い天使系の徳永ふさ子、アルトは、ややどっしりとした悲劇系の永島陽子と客観的でさっぱりした歌唱の羽鳥典子、テノールは劇的な語りのファンダステーネ、叙情性に溢れ心情が真っ直ぐに伝わる真木喜規、バスは性格的な声音と劇的表現に長けた春日保人(ピラト/アリア)、声にも語り口にも宗教性を感じさせる淡野太郎(イエス)といった具合です。

●このような対比性は合唱にも及んでいました。主として話の筋を進める劇的な第1合唱をH.シュッツ合唱団・東京が受け持ち、イエスの弟子たちの合唱には12弟子一人一人にそれぞれ歌い手が配され、プログラムには弟子の名前と歌い手の名前が載っていました。ドラマの内容をより掘り下げ、それぞれの性格をはっきり表に出して行くことを目標としたこのような小アンサンブルによる試みは、功を奏していたと思います。

●アリアと共に叙情的な面を歌う第2合唱を受け持ったメンデルスゾーン・コーアは柔らかく流麗な音色で、ドラマを目の当たりにした人々の驚きや悲しみを良く表現していました。

●コラールには女声合唱団としては珍しくあっさりした声を持つアンサンブル・アクアリウスが、第1曲の、ホ短調の音楽に突如現れるト長調のコラール見事に歌いました。このアンサンブルは、この先の全てのコラールの中心的存在としての務めを十全に果たしたと言えるでしょう。

●第1オーケストラのコンサート・マスター瀬戸瑤子さんと第2オーケストラのコンサート・マスター永井由里さんのヴァイオリンのオブリガートも非常に対照的な演奏で、その両場面、ペテロの慟哭のアリア「憐れんで下さい」(ヴァイオリン瀬戸瑤子 アルト:永島陽子)と「私のイエスを返せ」と叫ぶユダのアリア(ヴァイオリン:永井由里 バス:春日保人)はそれぞれ実に際立ったものとなりました。

●フルートの岩下智子さん、オーボエの宮村和宏さん、ヴィオラ・ダ・ガンバの福沢宏さんのオブリガートも各アリアの性格と存在意義を強く印象付けるものでした。

●オーケストラ“ユビキタス・バッハ”の積年の夢は、SDGの安定したカンタータ演奏そして<マタイ>のために、常時小編成オーケストラ二つ分の奏者が確保されていることでした。この日のオーケストラは、各群15名ずつの奏者に、ヴィオラ・ダ・ガンバ(福沢宏)、ファゴット(森本敏嗣)コントラファゴット(越康壽)という中低音の各氏、2台のポジティーフオルガンにフォルテピアノという総勢36名で、第19曲にのみ現れる2声のリコーダーは、第1曲と第1部の終曲のコラールを補強するために特別出演となったポストホルンの奏者中村孝志さんと、指揮者によって演奏されるという離れ業も交ざったとはいえ、この日のユビキタス・バッハは演奏の面からも、規模の面からも、集大成へ向かう一里塚といった観がありました。

 さまざまな実験をお許し戴き乍ら実現した今年の受難楽演奏会でしたが、『新しいマタイ』へ向けてその可能性を模索、提示したいという当初の目標は達成されたのではないでしょうか。当日お聴き下さいました皆々様からも暖かいお言葉を多々戴き感謝でございます。また遠くから応援して下さった方々、長きに亘ってお支え下さいます方々に心から御礼申し上げます。


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