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ムシカWeb通信


■ 2010/03/01 お久しぶりでございます。

 いろいろなことがありました。今日までのことを一度にご報告致します。

 2/9(火)粉雪のミネアポリスに到着。桃子と茜が出迎えてくれました。茜の第一声「早く帰って、おもちゃを見せてあげたいの」 輝は「違う顔の人がいる」という目付きで私をマジマジと眺め、おもむろに破顔一笑。この子の顔はどこから見ても喜び一杯、七福神が一度にやって来たようです。

 桃子は金曜日に「ハイチ」の人たちのためのチャリティ・コンサートをするそうです。郊外の教会で、という当初の計画は、ミネソタ・オペラなども上演するORDWAYという大きな劇場が全面バックアップしようという申し出をしてくれたため、内容は大幅に膨れ上り、風邪ひきの身体で80通というメールに返事を書いています。電話も鳴りっぱなしです。無料出演だということですが、名のあるアーチストたちがわれもわれもと出演したい、とのこと、アメリカらしいですね。

 2/12(木)桃子の本番1日前なので、子供たちが興奮して大変でした。茜はベッドの下にもぐり込んで、私の持って来た「インク」を絨毯に空けてしまい、私と桃子で1時間もかかって拭き取りをしました。私の右手は到着早々真っ青です。私もコンサート前はいつもキリキリしていて、家の中でさまざまな事故が起こったことを思い出し、いささかシュンとしてしまいました。桃子に言わせれば「半径3m以内には近付けなかった」とか。

 2/13(金)《HEART FOR HAITI》本番です。普段はそれぞれの舞台で演じているため、なかなか実演を観ることの出来ない歌い手や役者が一堂に会し、それぞれの当たり芸を披露。歌は勿論、ひとり芝居やフラメンコのデュエット、バス歌手が通奏低音まで歌ってしまう男声6重唱、同じく男声室内合唱‘カントゥス’などなど・・・そのうえ出演者全員がステージに座ってすべての演目をお互いに鑑賞。これはかなり凄いことだったようです。桃子は‘Pie Jesu’を歌いました。

 桃子が外出中、2人の子供と私、という時間はなかなか大変なものがあります。茜も輝もお互いに全く同じことをしたり、したがったりするのです。一人は泣けば他方も泣き、一人に食べさせれば片方も食べたがってワアワア言うのです。茜が「おかあさーん、おかあさーん、マミイ、マミイ,おかあちゃーん!! 」と泣きわめくのを見ていると、目の前の現実もさることながら、私の子育て時代が甦り、桃子も太郎も私の留守の間、こうやって泣いていたのか、と戻らぬ過去を思い出して慚愧の念、こちらの方が辛い。

 桃子は翌日2/14にもう一回新作発表の本番があり、それもなんとか終えたものの、そのあと、もの凄い熱を出してダウンしてしまいました。肉体的疲労もさることながら、ミネアポリス中のアーティストたちとの折衝で、精神的ショック疲労もひどかったようでした。しかし《HEART FOR HAITI》の公演は大成功で、寄付金合計6355ドルとのこと、めでたし。

 

 2/19(金)輝の6ヶ月目の誕生日で、桃子が検診に連れて行きましたら、5つもの予防注射をされて帰って来ました。日本へ行くので仕方ないとか。輝はケロリとした顔で、食事中の大人たちを見ると、自分も食べたがって「ウゥウゥ、フゥフゥ」と大騒ぎ。食欲旺盛で、小さなお椀に2杯ぐらいの離乳食を集中し切って食べ尽くす様子は、昔の太郎そっくりです。身長と頭回りがアメリカの同年齢の子供の最高値とかで、すでに北欧の大男という感じです。

 2/20(土)桃子コンサート。昨年武蔵野の小ホールで歌ったシューベルトの「岩上の牧人」を歌いました。子供2人産んだせいか、余分なものが取れて、昨年より声が軽くなっていました。これでやっと<マタイ>に集中出来る態勢となりました。

 2/24(水)やっと桃子の仕事が一段落し、やれやれと思っていましたら、嚥下性肺炎で入院していた奈良の母の具合が思わしくないとの知らせ、私だけ帰国を早めることになるのだろうか? こちらの子供たちを、桃子が一人で飛行機に乗せて日本に来るのはまず不可能なので、私は連れに来たのでしたが。

 桃子は、子供たちと一緒にわたしも同じ便で行くと言い出し、飛行機のチケットを探し始めました。子供たちを連れて奈良の母を見舞ったり、その後の様々なことを一緒にするのは現実的には考えられません。子供が次々に風邪を引いたりしたら・・・。

 2/25(木)嵐の一日。桃子はPCを開いては航空会社に次々と電話をかけ、遂に2/26金曜日の成田行きを探し出し、既定のチケットをキャンセルしました。私の出発を早める手続きには医師の診断書が必要です。奈良の弟の嫁 ‘道ちゃん’ に何度も電話を掛け、母の様子を尋ねました。

 母は道ちゃんに「道ちゃん、さようなら、さようなら、ママのところへ行くわ」と何度も言ったそうです。道ちゃんは電話口でほとんど泣いているので、私は死にかけている母もさることながら、道ちゃんが可愛想でなりませんでした。こんな天使のようなお嫁さんがいるのですね。

 日本時間2/26(金)午前6時45分、母が亡くなったとの連絡を受けました。私たちの到着はお通夜の夜、葬儀は翌日曜日です。茜は「わたしパンを持って行くの」と言って大きな丸いパンを自分のバスケットに入れました。血筋とは恐ろしい。私はこちらへ来る時、大きな丸いパン3個をボストンバッグにいれて持って来たのです。

 大人2人、子供2人の荷物の量は半端なものではありません。その上、それらを運べるのは大人2人のみ、しかも子供たちも場合によっては抱いてやらねばならない。

 輝はベビーカーに乗せる。茜は手を引いて、という基本線がくずれないようにパッキングせねばなりません。

 ミネアポリス時間2/26(金)朝7時半、桃子、茜、輝は桃子の夫キースの運転でロチェスターへ。1時間半のドライヴとのこと。このロチェスター発成田行が桃子の悪戦苦闘の末に獲得したチケットです。ロチェスターからミネアポリスまで飛んで、それから私の乗る飛行機乗り換えるという不思議なチケット。ミネアポリス発は私の1席で終わり、と言われたのでしたが本当にあるのだろうか? キースはロチェスターからトンボ帰りで次は私を乗せてミネアポリス/セント・ポール空港へ。心配した通り、自動チェックインでは「チケットはありません」との表示。受付の人に、Mrs.Shizuko Tanakaはもうわずかの寿命である、との医師の診断書を見せ、「すでに母は死にました。」と付け加えると「私の1席」が出て来たではありませんか。成田行きのゲートで待つこと30分、桃子たちがすでにフラフラの感じで現れました。「このゲートの真反対に到着したので、そこからどれぐらい歩いたか分からない」とのこと。いよいよ同じ飛行機に乗り込めることとなったのに、茜は「乗りたくない」とむずかり「ダディ、ダディ!」と叫ぶ。

 それからの12時間半、もうこんなことは2度としたくありません。が、まあまあ2人はそれなりに眠ってくれもしました。

 日本時間2/27午後5時すぎ、成田に到着。荷物4つを宅急便に。成田エクスプレスで品川へ。次に「のぞみ」に乗り換えて京都へ。そして近鉄で奈良へ。11時半に奈良に着き、タクシーで天礼社大和会館というところへ。

 お通夜は終っていましたが、わが母 田中静子は一枚の写真となって私たちを迎えてくれました。僅かに笑ってはいるが、その目は人の心の奥にあるものだけを見つめ、「あんなこと言ってる」と微かに皮肉っぽく光っているという、かなり典型的な彼女の表情でした。仰天したのは彼女の戒名です。『浄雪院釋得宝』と書かれていました。「浄雪」とは美しい漢字ですが、イザヤ書にも「たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。」と書かれているではありませんか。最後の「得宝」とは道ちゃんと曾孫たちのように私には思えました。

 2/28(日)最後迄道ちゃんと母の面倒を見てくれた末の弟、泰彦の誕生日が彼の母の葬儀の日となりました。終戦直後のひどい栄養失調が続くなか、生きるか死ぬかの瀬戸際で、母はおなかの子を生む決心をし、帝王切開によって八ヶ月の泰彦が生まれました。この日、自分の生命を捨ててもこの子供の生命を、と願った母は、泰彦の愛を受け、91歳5ヶ月のその終わりの日まで、息子はおろかその嫁にまで愛されて旅立ったのです。

 母は最期のころ何度も「道ちゃん、バイバイ、バイバイ、ママーァ!」と言っていたそうです。

 この日に浄土真宗のお葬式で若い有髪のお坊さんのお経は『正信偈』でした。茜は「わたし、あの歌は好きではないの」と言いましたが、私はこの「歌」を朝晩称えさせられて育ちましたから嫌いではありません。歌い方はそれぞれですが。

 お棺の中の母は黒白チェックのシルクタフタの服に真珠の首飾りをして、「ああ、やっと・・いい気持ち」と言っているようでした。道ちゃんが、お洒落だったおばあさんにはこの服を着せてあげよう、といって選んでくれたとのことでしたが、なんとそれは私が母に上げたものでした。こういう場面で気持ちが通じ合うって素敵なことです。

 奈良を後にし、太郎の運転で、さやか、桃子、茜、輝、それに私の計6名が一路東京へ。ところが事はそう簡単ではなかったのです。津波の影響で東名が全面通行禁止に。仕方なく中央道を通り、岐阜、長野、山梨と抜けて、練馬の家に着いたのは3/1午前2時半、そこで一足先に新幹線で帰京した夫が運転を代わり、桃子たちがこれから住むウイークリーマンションへ。午前3時。私は自宅に帰りこのブログを。久しぶりの「ひとり」の時間でした。

 3/1午前9時半、成田から送った宅急便が届いたので、夫はそれをマンションへ届けけに行きました。茜の大好きな「パン」が入っているのです。


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