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ムシカWeb通信


■ 2008/02/22 70歳18日

 あっと言う間に私は70歳と18日、こんな台詞をこれから何度つぶやくのかしらん。一度でいいから 「きのうから今日、一年も経ったような気がする」 などと書いてみたいものですねえ。

 体調も体重も一週間ほどでもとに戻りまして、2/11(月)シュッツ練習、2/12(火)アクアリウス練習、2/13(水)シュッツ練習、2/14(木)メンデルスゾーン・コーア練習、2/15(金)レッスン、2/18(月)シュッツ練習、2/20(水)シュッツ練習、2/21(木)メンデルスゾーン・コーア練習、とよく働きました。実は2/8(金)の日に、3/12(水)にわれわれが初演するはずの武久源造さんの新作は「長くても15分」ということが判明、まあ大変、新作に40分を見込んでプログラムを組んでいた私、あと15〜20分の時間になにを演奏するか、大車輪で考えた訳であります。作曲家はシュッツかディストラーでしょう。シュッツの<カンツィオーネス・サクレ1625>には第3曲ー第8曲、および第21曲ー第23曲というそれぞれ連作の受難モテットがあります。どちらも名作ですが、5曲にしろ3曲にしろチクルスというのはひと塊ということで、プログラムに強烈なインパクトを与えます。今回のインパクトはディストラーの<コラール・パシオン>と武久さんの新作<神に勝つ>で十分なのでシュッツという選択は勿体ないがあきらめる。さてディストラー。この人の生涯はたった34年でしたが、シュッツに傾倒していた彼の合唱曲は、礼拝用の小さな賛美歌に到るまで、それは「美しくも透明な」音楽です。まずはこれもシュッツの<宗教合唱曲集1648>を手本として書いたモテット集、その名も同じ<宗教合唱曲集Op.12>を繙いてみます。9曲から成る曲集の最後の2曲が「受難モテット」で1曲は「まことに彼はわれらの病患を負い」という旧約の預言者イザヤの言葉につけられ、最後に「一匹の小羊が」のコラールが附いています。もう1曲のテキストは「それは確かなまこと」というパウロの言葉で、これにも「キリストに栄光あれ」のコラールが最後に歌われます。このコラールはシュッツが彼の<マタイ受難曲>の終結合唱として用いたものでもあります。この2曲はディストラーが未完の<ヨハネ受難曲>の冒頭と終曲に用いようと用意したもので、<ヨハネ>が完成に至らなかったため、<宗教合唱曲集Op.12>に収められた作品です。なんとおあつらえ向きではありませんか。私は今更のようにディストラーに対する愛の気持、哀惜の念も新たに、この2曲を3/12のプログラムの最初と最後に歌うこととしました。ここでやっとチラシ制作がスタートし、先週は校正のやりとりが続きました。校正といえば、3/12にリリースされる我らがCD<ハインリヒ・シュッツの音楽 Vol.2>のブックレット40ページの最終校正も同時に重なりまして、結構忙しい日々を送ったのでした。

 というわけで、やっと先回お約束致しました我が誕生日とリサイタルにお寄せ戴いた勿体なくも貴重なるお言葉を謹んでご紹介させて戴きます。

二〇〇八年二月四日に寄せる

ことほぎ一首 悠好生

古稀迎え ここぞと薫る 梅の花 東風(こち)に奏でよ(カンターテ)主への(ドミノ) 頌め歌(ラウダ)  

為 淡野弓子女史  

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・・・企画自体比肩するものがない独自性があり、特に<扉の彼方へ>の歌唱と朗唱には表情のある表現を通して、内容が直接伝わってくる演奏であった。(音楽評論 I氏) 

・・・ただユニークな選曲だっただけでなく、よく考えを練ったプログラムだった。とくに前半、グリーグの音楽は前座どころではなく、情感の基調となって、過去への哀惜の情と現実のほろ苦い思い、あるいはリリシズムとリアリズムが、まるでケーキのミルフィーユの如き絶妙な層を織りなして表現されていた。

 後半は、よくまあ最後までやりとげたものと、そのヴァイタリティに驚嘆。12音を始めさまざまな技法も面白かった。もし自分が真似るとすれば狂言の要素がまじるのではと想像した。

 いずれにしても淡野弓子70歳の決意表明、というか70歳の覚悟なるものが伝わってきて手ごたえ十分のリサイタルであった。(元NHK音楽ディレクターO氏)

・・・日本語そしてドイツ語が実に明確に伝わってきた。ことに後半の岡本かの子は日本語表現のエポックメーキングな出来事だと思った。(大学教授・ドイツ語 Y氏)

・・・後半三人によるインプロヴィゼーション。ここに到って、小説の日本語がそのまま立ち上がって聴くものに届くというか、「うた」というものの、根源的でありかつ究極の目的が達成されていたように思われます。もちろん、先生が「語られる」日本語が、今では残念ながら失われつつある明確で美しいものであるということもありますが、それだけではすまされない。(声楽家・フランス歌曲 T氏 blog:巴里路庵)   

 ・・・グリーグはとても好きな作曲家で、又日本の歌曲との組み合わせは全く違和感がなく、おだやかに聞くことが出来ました。グリーグの感じと武久さんとウォンさんの表現が何やら肩を並べて語らいをしているようで、美しい、落ち着いた雰囲気を感じました。

 ・・・三人のコラボレーションはちょっと意表をつかれ、岡本かの子作品を採り上げられたことに大変興味を持ちました。岡本かの子の独特の、形容詞が多い文体で、(一人は)幼なさを持ち、(もう片方は)深刻な登場人物がいて、それを淡野さんのお声と、ウォンさんのスパッとした透明感のあるピアノと、何やらぬくもりのある武久さんのオルガンの音色が重なり合って、またもう一つ違った ”三丁目の夕日” があるように思いました。いうなれば中年の前衛でしょうか。ほんとうに面白い演奏会を聞かせて下さってまことに有り難うございました。(カー・デザイナーH氏)

 皆様からこれほどのご理解を戴けるとは予想もしていませんでした。文字通り夢のような演奏会でした。改めて皆様に心より御礼申し上げます。


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