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ムシカWeb通信


■ 2007/06/06 瀬尾文子 その八 最終回

 4月5日、聖木曜日。前日ラウエンシュタインに長居して寒い思いをしたので、グラースヒュッテにでかけるのは、プローべ開始ギリギリの時刻にしようということになりました。午前中に練習、午後はまた裏山に登ったり、シュミーデベルクのカフェでケーキを食べたりして時間をつぶしました。

 グラースヒュッテは、時計の生産で有名な街です。教会の真ん前には、時計産業の創始者F.A.ランゲの像が立っていました。この教会St.Wolfgangもまた、歌いやすい響きの空間でした。そして、入ったとたんに聞こえてきたオルガンの音が思いがけず魅力的で、ほぅと見上げていたら、ゴットフリートが、ジルバーマンの弟子Johann Christian Kayserの製作だと教えてくれました。

 この日の演奏も全体的にうまくいった覚えがあるのですが、残念なことに、録音を失敗してしまいました。MDウォークマンにはいろんな導線の差込口があってややこしく、マイクを差し込む位置をまちがえてしまったのです。すべての演奏を録音して、一番いいのを選んでCDを作ろうと思っていた私にとっては、痛恨のミスでした。でも、みんなからは、もう反省して練習する機会もないし、ちょうど良かったよと慰められました。

 最終日はいつもより一時間早起きしないといけませんでした。クライシャという、シュミーデベルクから車で20分程の街の福音派教会で、朝9時半からの礼拝に奉仕することになっていたからです。私は同室のベアーテさんが前日に帰ってしまって一人だったので、いつかのように(!)寝坊しないか、心配だったのですが、なんとか起きられました。そして、だれも寝坊することなく、荷造りに手間取ることもなく、全員無事に宿を後にして、教会に到着することができました。聖金曜日の礼拝ということもあって、会衆もたくさん集まりました。朝一番でしたが、発声もよく、この礼拝で歌ったレヒナーは今までの中で最高の出来でした。

 予定時刻を少しオーバーして礼拝が終わりました。我々は用意されていたお茶を一気飲みして、いそいで車に乗り込み、そしてベルリンへとひた走りました。午後3時には、エピで、同じプログラムのコンサートを始めないといけなかったのです。なんとか間に合いました。教会には、旅行に参加しなかったメンバーの一人が簡単な昼食を用意しておいてくれたので、飢えることもなく、無事にコンサートを行うことができました。いろんな教会で歌ったあとに、こうしてホームの教会に帰ってくると、なんだかとっても安心して歌えます。旅疲れのせいか、みんな声の調子はあまりよくありませんでしたが、落ち着いた演奏ができました。

 ゴットフリートは昼食も摂らずにそそくさとオルガンに向かっていました。ソロが二曲あったからです。このコンサートで聞いたリゲティのエチュード第1番《Harmonies》(1967)は、エピのオルガンの特質を充分に生かしていて、さすがわれらがマイスターと思いました。ゴットフリートのカントール退職は本当に惜しいです。いつまでもここで弾いていてほしいし、カントライを指揮してほしいです。

 そして、私自身も8月末に、カントライの皆と別れなければならないことが今から悲しいです。お別れのときには泣いてしまうかもしれません。けれどもそれはもう少し先のことなので、今は忘れます。今回の旅行で仲良くなった人からホームパーティに誘われたり、今度は5月の礼拝でシュッツの《Cantate Domino》を歌うことになったりと、楽しみなことがたくさんあるので。 おしまい。

4月8日復活祭日曜日  瀬尾 文子


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