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ムシカWeb通信


■ 2007/04/19 ミネアポリスから戻りました。そして瀬尾文子 演奏記 その二

 先回4/17の更新記事がどういうわけか先先先回の場所に掲載されてしまったので、本日もう一度正しい順序に戻るかどうか試してみます。(以下4/17付本文)    

                                

 この画面上ではどこにいても同じですが、わたくし三週間ぶりに東京の空気を吸っております。一番驚いたのは我が家の自然園です。わが孫娘の茜が反っくり返って駄々をこねているように真っ赤なチューリップが身をくねらせ、空き地は薄紫の諸葛菜が埋め尽くし、なんと例年は4月29日ごろに咲くつつじが早くも緋色の花を・・。空を見上げれば花みずきが!

 今年は桜を見損なったのが残念だったのですが、春と初夏を一度に満喫した日曜日の朝でした。

 午後はひさびさにユビキタス・バッハの仲間、ソリストの大石すみ子さん、羽鳥典子さん、星野正人さん、中村誠一さん、それにシュッツ合唱団の有志のメンバーとともにバッハのカンタータ112番をさらいました。詩編23「主はわたしの真実の牧者」をもとにパラフレーズされた歌詞が、合唱、アルト・ソロ、バスのアリオーゾ、ソプラノとテノールの二重唱、そしてコラールによって通して歌われ、清々しさ、麗しさ、深刻な場面、天にも昇る喜びなどが嫌味なく流れ、まことに今の季節にぴったりの讃歌です。今週の土曜日午後六時より上荻の本郷教会(T.03-3399-2730)で、シュッツのダビデ詩編第23編(三重合唱)とともに演奏致します。お時間がおありでしたら是非お出かけ下さいませ。

 今夜はシュッツ合唱団の新年度初の練習をしました。5月20日の日曜日の午後、三島市の長泉で行なわれる<ア・カペラの時空>コンサートの演奏曲目です。モンテヴェルディの「わたしは若い娘」とフーゴー・ディストラーの「歌へ、主に向かって新しい歌を」を勉強しました。大宇宙の法則を発見し、ここぞという箇所でその音の響きが最大の効果を上げるように音を組み立てる天才の作品は、2、3分の曲にすら森羅万象がすべて書き尽くされているような印象を受けます。いつものようにワクワクする時でした。

 天才といえば、ミネアポリスのオペラ芝居は<Don Juan Giovanni>から<Figaro>に変わり4月4日が初日でした。モーツアルトの音楽もまたその音楽に込められた内容の深さ、密度の高さ、鋭さ、そして悲しいまでに真摯な語り口に改めて感動、言わずもがなとはいえやはり「凄いなあ!」のひと言です。詳しくはまた時を改めて・・・。

                                

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瀬尾文子「演奏旅行記」その二                     

 2回目のコンサートは、宿泊地のシュミーデベルクの教会でした。1713-16年にGeorge Baehrによって建てられた教会です。ベーアは10年後にドレスデンのフラウエン教会を建築しています。シュミーデベルクの教会は、三位一体のシンボルである三角形を基本に設計されました。外観も、図で説明されてみればそんな感じがします。内部はこじんまりした印象で、入って正面にオルガンがあります。会衆席は円形で、二階にもベンチがありました。残響はありますが少ない方で、5度倍音がほとんど鳴らない変わった音響の空間でした。

 この日はレヒナー《ヨハネ受難曲》がけっこううまくいきました。終わったあと、客席で感動の涙を流している人がいたとだれかが興奮気味に言っていました。

 ゴットフリートは、言葉を明確に伝えるということと、「歌」を聞かせることをまったく同時に行うことを目指しているようです。フレージングを非常に大切にします。ソプラノはしょっちゅう「Leiser einsetzen!(歌い出しはもっと静かに!)」と怒られ、裏拍にアクセントを置かないよう、口をすっぱくして注意されます。きれいにフレージングできない箇所は、できるまで、何度も何度も練習させられます。自分たちでは言われている通りやっているつもりなので、そう何度もやらされると、頭にくる人もいて、そういう人は黙っていないで、堂々と文句を言います。日本のシュッツ合唱団ではあまり見られない光景です。そんなときゴットフリートは、どうしてそうやらなきゃいけないかをはっきりと説明します。たいてい、ここができなければ、他のところもできないという内容です。そうやって一つ一つの課題を克服していくことで、恒常的なレベルアップを図っているんだなと私は理解しています。文句を言っていた人も、一応は納得して練習が続けられます。

 こちらのふだんの練習風景で、シュッツ合唱団と違うことは、まだたくさんあります。一番驚いたのは、練習の終了予定時刻を過ぎると、必ずメンバーのだれかが「10時を過ぎました」とか「もう疲れて歌えません」とか言って、指揮者に終了を促すことです。それから、Pauseも平然と要求します。小心者の私には真似できません。

 それから、ふだんの練習は、初めの発声以外は座ってします。足が疲れなくていいです(もっとも、私にとっては、ちょっと椅子が高すぎて、足がつかないので、別なふうに疲れますが。)練習の最後近くで、ではちょっと通してみようか、というときに初めて立って歌います。

 また、周りの人への忠告も、気兼ねなくします。誤りに気づいているのに黙っているのは、かえって無礼という空気です。譜面に「pp」とあるのに、他のパートが大きく歌っていたりすると、「あなたたちうるさい」ということも平気で口にします。私は、本来そういう注意は指揮者に任せるべきだと思っていたのですが、言っていいならストレスがたまらなそうでいいです。今回の演奏旅行中に、私は隣のブッカさんから、ドイツ語の発音を一つ注意されました。ふだん私の発音はwunderbarだとほめられていたので、この注意はしっかりと聞きました。何かというと、sprechenのsprの発音です。《ヨハネ受難曲》には、しょっちゅう“...sprach:“が出てきますが、私のsprは「シュプr」ではなく「スプr」と聞こえるらしいです。よっぽど口先をとんがらせないと、正しく聞こえないと知りました。                  

                                  

 ところで、今回の演奏旅行で、私は録音係をやっていました。MDウォークマンはドイツではまったく普及していないようで、とても珍しがられました。まぁまぁ性能の良いマイクを持っていたので、それなりに良い音で録音ができました。ということは粗もミスもすべてキャッチするということですが。2回目と3回目のコンサートで撮った録音は、スピーカーにつなげて、その晩のうちに全員で聴き、あーだこーだ言い合いました。自分たちの演奏を客観的に聴くことができて、翌日の練習と本番にとても役立ったと思います。特に、指揮者にいつも注意されていることが、自分たちではやっているつもりが、こうして聴いてみるとやっぱりできていないということがよくわかりました。私個人的には、予想以上に一本調子で歌っていて、少しショックでした。そして、その次からは、どうしたらもっと表情が豊かになるかを考えながら歌いました。2回目まではソプラノが4人と少なく、張り切りすぎたところがあったので、3回目からは全体的に声を節約しました。少しは効果があったみたいです。(続く)


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