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ムシカWeb通信


■ 2016/05/03 The Story of Crow Boy  FBより

 非常に長い稿なので、「本文」は後にし、この「前置き」と「終りに」を続けてアップします。お時間とご興味のおありの方はそのあとの「本文」をお読みください。

 ★前置き

 2016/2/28(日)の午後・夜2公演で八島太郎原作『The Story of Crow Boy』(In the Heart of yhe Beast Puppet and Mask Theatre)が終った。私はここミネアポリスでこの芝居を3度鑑賞。3度目は28日の午後公演だった。素朴な舞台装置でありながら、内容は非常に濃密かつ造り方が凝っていて、とても一口には語れないが、強烈な印象、感嘆そして感動の舞台であった。テーマは一つではなく、それ故に分かり易く語るのは難しいのだが、なにはともあれご覧になれなかった方々にお伝えする、ということを目標に少しずつお話したい。

 脚本:Steven Epp

 舞台上に登場する人ともの:役者、人形、仮面、照明&映像、主として打楽器の囃子方、三線

 舞台装置:生成り色の紙を張った大きな桟の無い障子、1枚のドア、幅70センチ、長さ2メートルほどの机

 登場人物:烏(Sandy Spieler)、タロウ(Masanari Kawahara)、語り手(Steve Ackerman)、光(MomokoTanno)、原爆の生存者1.2.3. いそべせんせい(Steve Ackerman)、からすたろう(Masanari Kawahara)、大亀(Shante' Zenith) これだけの登場人物および効果音、歌などを5人の役者で演じる。

 台詞の言語:英語、日本語

 音楽:主として日本の童謡、わらべ歌、民謡などにプッチーニのオペラアリアも・・

 :打楽器(太鼓、タンバリンなど)、鈴、アコーデオン

 ◆タイトルの『Crow Boy からすたろう』は八島太郎による絵本のタイトルで、この舞台の中では劇中劇として演じられる。みんなから「チビ」「バカ」などといじめられ、学校の尺度で言うなら落ちこぼれの少年がある優れた小学校の先生によって、彼独自の感性、勤勉、真面目、熱心といった資質が見いだされ、学芸会であらゆる場面の烏の鳴き声を披露し拍手喝采を浴び、皆勤賞とともに小学校を卒業するという話である。この少年は雨の日も風の日も山へ出かけ烏の声を聴いていたとのこと。

 ★終わりに

 なんといっても驚いたのはこの芝居の広がりと深さであった。各場面がテーマと言ってもよいほど、どの場面にも重要な事が表現されていた。

カラスに扮し全編を見守ったSandy Spieler は、やしま・たろうの『からすたろう』に魅かれ、なんとかこの物語を人形・仮面劇場で上演したいと考えた。3年の間案を錬る。私ははじめ『からすたろう』の話のみが演じられるのかと思っていたが、全く違った。この芝居は『からすたろう』の作者である「ヤシマ・タロウ」の一生を描いたものであった。「ヤシマ・タロウ」の人生はひと通りやふた通りのものではない。鹿児島に生まれ野山で思う存分飛び跳ねた少年時代、画家を志し同じ望みを抱く光と結婚、特高に捕らえられ、拷問を受け転向して出獄。小学生のマコを光の両親に預けアメリカへ。モモ誕生。アメリカで絵本作家として成功するも、日米開戦、原爆。タロウは米国軍人となり、日本に戦いを止めるようビラを撒く。

 タロウは娘のモモを愛していた。病いにふせっていた時、モモが痛いところにほおずりをしてくれた優しさに感激し、子供の純真さ、無防備な美しさを愛し、沢山絵本を描いた。モモが雨傘と赤い長靴をもらって、雨が降らないかと毎日毎日首を長くして待つ『あまがさ』や、小学生のころの思い出から生まれた『からすたろう』は高い評価を受ける。知恵おくれではあったがほかの子供たちには真似の出来ない才能を持っていたからすたろう、また一生を物造りに捧げ、他人の追随を許さぬ作品を制作し、毅然とした生涯を終える職人たち、このような人々がタロウにとっての天才であった。天才とは天の語る事、天の教えることを真っ直ぐに受け止め、それを狂い無く人に伝える力を持った人のことを言うのではないか?

そのまま日本に留まっていたなら虐殺の運命も免れ得なかったであろうタロウが、自らの未来と身重の光の安全を願って転向の表明をし、地獄の収容所を出所した。この芝居がミネアポリスで上演されていた2016/2/18〜2/28の間に小林多喜二が拷問死した2月22日が挟まっていたのはなにかの偶然だろうか。タロウはこの日、杉並の多喜二の家に駆けつけ彼のデスマスクを写生している。

 ★本文

 第1幕

 大きなカラスの影絵が背景に映し出され劇が始まる。長い觜、黒い大きな羽のカラス(Sandy Spieler)は下手から上手へ真っ直ぐ移動し、中央やや上手寄りのドアから舞台へ。上手の器楽陣の席に腰を掛け、時々「カア、カア」と鳴き乍らドラマを見守る。カラスはこのドラマ全体の重要な目撃者の役割。

 カラスが鈴を鳴らすと下手から1人の日本人男性(俳優 Masanari Kawahara)が丸めた紙を持って登場。簡単な衣装ともいえない衣装。囚人服を思わせる薄青い木綿のシャツ。ステテコ風のパンツ。「ヤシマ・タロウ」である。紙を机の上に広げ、その下に手を差し込んでちょっと持ち上げ、「この島が日本です。」と日本語で自己紹介。次にアメリカ人俳優の扮する語り手(Steve Ackerman)・・見た感じは狂言回しのようなちょっと喜劇風の青年・・が英語で語る。タロウの父は医者で、家には本が沢山あった。突如米人青年の手には身長40センチほどの人形が。タロウの子供時代の姿である。机に立てられた本をタロウ人形がドミノ倒しでバタバタバタと倒す。(子供の観客がキャッキャと喜ぶ。)タロウの子供時代:小さな人形が木に昇ったり降りたりする。「茶摘みの歌」、「夕焼け小焼け」、などの童謡とともに。

 大きな人形が出て来て軍事教練。左、右、左、右。強制された訓練。カラスが現れ絵筆の入ったガラス瓶を叩くとタロウの人形とともにタロウが出て来て絵を描き出す。そこへ光[みつ](Momoko Tanno)も人形とともに出場。やはり絵を描く。2人の描いた線がひとつとなり、ふたりは思いをひとつにする。この場面はタロウに扮した俳優の遣う人形と、光に扮した女優が遣う人形で演じられる。「夕空晴れて秋風吹く」の歌。2人は結婚。生まれた子供が死ぬ。母親光の哀泣。歌:「Senza mamma ああ、お母さんもいないまま、お前は死んでしまった・・」(プッチーニ《修道女アンジェリカ》より)。しかし新しい子供が光のお腹に。

タロウと光は共に新しい絵画藝術を夢見て幸福であった。

 ある日、タロウが水仙の花束を手に家に帰ってくると、なにか様子がおかしい。光の姿は見えず、そこには3人の男が。タロウは特高に捕われ投獄される。舞台正面に置かれた机の下が牢獄である。タロウが机の下で拷問に耐えるさま。光も身重の身ですでに捕らえられていた。9ヶ月後、2人は特高の望む転向の文書を書き、やっと釈放される。光は出産。男の子が生まれ、マコと名付けられる。タロウが牢獄から這い出すと机の上は海であった。(第一幕終了)

 第2幕

 カラスがドアを開けるとタロウと光が入場。タロウと光はマコを自分の両親に預けニューヨークにやって来る。2人は机にテーブルクロスを掛けそこに箱を置く。正面を向いたタロウが箱に筆を走らせ、くるりと回転させると、そこにはラジオが。Benny Goodman が流れる。光はマコに手紙を書いている。突如ラジオからパールハーバーのニュース。背面に飛行機や軍艦の影絵。上から大量の新聞紙が落ちて来る。

光「パパは毎日追いつめられたように仕事をしています。沢山の絵を描いてアメリカの人々に話しかけています。」

タロウ「日本人全部が軍国主義ではありません。私たちだって平和を求めています。」

光「マコ、生きていて! いいえ、マコだけでなく、皆生きねば。」

タロウが天才たちのポートレート(この天才たちとは、太郎が少年時代を過ごした鹿児島の職人たち・・・桶屋、染色職人たち・・・であるが、それらの人々はボール紙に描かれた絵人形となって登場し、脇のスクリーンにも映し出される。タロウはまた新聞紙に「DON' T DIE」「STAY ALIVE」と書いて両手で高々と掲げる。新聞紙のなかからマコ(人形)を見付け抱き締める。

スクリーンに原爆投下、火の海が映写され、その模様が語られる。以下、光の口から日本語で、生存者の証言は米青年から英語で2カ国語同時に。

 光「空は見渡す限りみかん色のようでした。・・・空がどんどん落ちて来て、まるで地獄が落ちて来たかのようでした。私は鼻と口を布で覆いました。すると変な感触がして顔の皮が布について来たのです。手や腕、5本の指の皮が取れてしまいました。・・・死んだ親を担ぐ子供たち、死んだ子供を抱く親たち、身体から魂が抜けてしまっているようでした。そして『助けて!』と叫びました。『水を下さい!』

 どこからかカラスの大群がやってきました。死体から目玉をつついて食べたのです。

 前の晩に子供が言っていたことを思い出しました。『戦争なんてやめて!』『この世から戦争なんてなくなればいいのに。』子供の言葉ではなく、神の声だと思いました。

 光がマコに手紙を書いている。「涙も枯れ果て、何もない空を見上げています・・・」そこへマコからの手紙が!"To Mother"「僕は毎日学校へ行っています。そして山の道を歩いています。」最後にマコのサイン。光は狂喜する。マコがついにアメリカに来る事となったのだ。光、モモを出産。光の衣服から人形のモモが現れ光から赤い長靴を履かせてもらう。(第2幕終了)

 第3幕

 (以下すべて台詞は英語)

 病気で寝ているタロウの側にモモ(人形)がやってきてタロウの足の裏をくすぐったり、上に乗って飛び跳ねたり。

モモ(人形)「Daddy, 起きて!」

タロウ「うーん、ちょっと気分が悪いんだ。なにをして欲しいの?」

モモ(人形)「Daddy, お話をして!」

タロウ「Okay. 日本には君のような子供が沢山いて・・・川があって、そこには大きな樹が立っていた。」

タロウはモモに本を渡し「素晴らしい樹」と呼ぼう、と言うとモモは「村の樹!」タロウ「良いアイディアだ、いいね。」"The Village Tree"と書かれた表紙が観客に示される。

タロウ「ほかの本も沢山書いて上げるよ。」

 語り手が、この芝居の冒頭場面と同じように巻いた紙を持って登場。

 語り手「『からすたろう』のお話です。」(始めに説明した『からすたろう』の物語が、小さな人形:チビとともに語られる。チビが6年生になった時、いつも優しく微笑んでいるイソベ先生がチビの担任になった。

イソベ先生「お早う!チビ。私はよく彼と2人だけで話しました。チビは野ぶどうや山いもなどがどこで穫れるかを教えてくれました。チビにしか読めない習字や白黒の絵も好きです。(人形のチビが机の上の紙に筆で絵や字を描く。)

しかしチビが学芸会のステージに現れた時・・ここでチビは人形ではなく、これまでヤシマ・タロウに扮していた俳優MASAがチビの面をつけて机の上に立つ・・誰もが我が目を疑った。

 「みなさん、チビがカラスの鳴きまねをします。」(カラスが影のように登場し、チビの後ろで羽を左右に動かす。)

 「最初はカラスのひなの声です。」(カア、カアと高いピッチで)

 「次はお母さんカラスの声。」(カア、カア、落ち着いた中音域)

 「お父さんカラス。」(カア、カア・・・」

 「村で 不幸があったときの鳴き声」「カーーーア、カーーーーア・・・」

 「幸せな楽しい時の声」(カラスもチビも踊る。)

 最後にチビは大きな樹のうえで鳴くカラスの声を聴かせる。カラスは鳴き声とともに踊りまた祭り唄なども歌い、チビの踊りとのデュエットでクライマクスを迎える。

 チビは6年間もの間、日の出とともに家を出て、日が暮れるころ家に帰り着く。この行き帰りにカラスの鳴き声を聴いていたのだ。1日も休まずに。

 聴いていた者たちは皆泣いた。そして自分たちがどれほどのいじめを彼に与えていたかを思った。

 間もなく卒業の日が来た。チビはクラスでただ一人、皆勤賞を与えられる。6年間である。一同拍手。チビの面がはずされチビはタロウに。皆勤賞は絵本作家タロウに授与されたCaldicott Awardとなる。(コルディコット賞:児童図書館協会(英語版)(ALSC)が、アメリカ合衆国でその年に出版された最も優れた子ども向け絵本に毎年授与している賞。)

タロウ「ありがとう! ありがとうございます! 私はこの賞を戴いて大変光栄です。・・・子供のための本を作るのに長い時間を費やしました。正しい道を見付けるのに人生の半分が過ぎて行きました。」

 タロウは子供について、世界について、地球について思うところを語る。無垢でいたいけな幼子に潜む成長の可能性を信じ「子供たちがこの地球で楽しく生きることが出来ますように。この地上の悪に打たれたりねじ伏せられたりしないだけの強さが与えられますように。」と日本語で言う。この言葉は英語でスクリーンに映写される。

 タロウはシャツを脱ぎ床に置く。タロウがドアを開けると大きな亀が入ってくる。背には箱が。タロウが箱を開けるとそこには老人の面、タロウはその面を付け浦島太郎となる。(海は広いな、大きいな・・・の歌)樹が生い茂りそこにカラスがやってきてタロウを抱擁。カラスが鳴く。(The End)


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