今年度の<レクイエムの集い>が11/18(水)三鷹市の芸術文化センター[風のホール]で開催の運びとなりました。
<レクイエムの集い>が始まったのは1984年でしたから、今年は25年目ということになりますが、今年初めてこの<集い>を目にされた方のために、発案の理由やきっかけをお話致しましょう。
1985年という年は、シュッツ生誕400年、バッハ、ヘンデル生誕300年が重なった大騒ぎの年でした。私たちシュッツ合唱団・東京は、この年、ドレスデンのゼンパー歌劇場で何日にも亘って開催されたハインリヒ・シュッツ祭で演奏するように、という通知を旧東独政府より受けるという、思いがけない事態が発生しました。政府芸術省からの手紙が届いたのは1982年ごろで、シュッツ合唱団が誕生してから14、5年目というところでした。
発足以来、マイニチ・デイリーニュース紙上に批評を書いて下さっていたクラスス・プリングスハイム氏や、雑誌「藝術新潮」にシュッツ合唱団演奏会の感想などをエッセイにまとめられ、寄稿されておられた詩人の尾崎喜八氏という方々がこのころはすでにお亡くなりになっておられました。この方々に、私たちのドイツ行きをお伝えすることが出来なかったのが残念でした。せめて<レクイエムの集い>というような趣旨のコンサートを開いて、このようにお支え下さった方々に感謝を捧げたいとの思いました。そして第一回の<レクイエムの集い>が1984年、聖路加国際病院のチャペルで開催されたのです。
もう一つのきっかけとしては、長年在日されたあるドイツのご婦人が「私が死んだら一体誰がレクイエムを歌ってくれるのでしょう」と呟かれた、というのを耳にしたことです。ああ、こういう思いで異国で亡くなることを心配しておられる方もいらっしゃるのだ、ということに初めて気付かされ、このような方々も共にお慰め出来たら、と親しい方を亡くされたご家族、ご友人に呼びかけ、『追悼』というページで逝かれた方々のお名前を掲載させて戴くこととなったのです。こうして毎年一回、万霊節(11月2日)の前後に催されることとなりました。
「万霊節」といえばリヒヤルト・シュトラウスの歌曲があります。「香るモクセイソウをテーブルに置いて・・・」と歌い出され「一年に一度死者たちが解き放たれる日、どうか私の心に帰って来て」との言葉でクライマックスを迎えるよく知られた美しい歌です。このようなリートと共に<レクイエムの集い>が持てないだろうか、と長いこと考えてきました。もう一つのアイディアは、同時期に異なった国で生まれた曲を一つのプログラムに組めないだろうか、というものでした。「追悼の調べ」と題された前半の近代歌曲叢は、二つの夢が一度に実現したもので、19世紀後半から20世紀前半にかけて、イタリア、ドイツ、フランスで誕生した歌曲が歌われます。選曲はすべて演奏者自身によるもので、レスピーギ、ブラームス、デュパルク、シャブリエ、プーランクの作品ということになりました。当日は羽鳥典子さん(イタリア)、永島陽子さん(ドイツ)、武田正雄さん(フランス)という、それぞれの国で研鑽を積んだ三人のスペシャリストが演奏致します。皆さんの入念な準備の様子を聞くにつけ、18日の演奏がますます楽しみです。musica21 のblog(http://musica21p2.exblog.jp/)にはレスピーギの「歌」の背景などが記されています。
プログラム後半は武久源造作曲<創造>です。旧約聖書創世記の第1章から第2章4節までが、すべて聖書の記述通りに歌われます。ということは、天地に始まり、この世にあるすべての物の誕生・・・最後は人間です・・・がルター訳のドイツ語で歌われるのです。ア・カペラの合唱に託された課題は厖大なものがあります。グレゴリアン、西洋中世から無調まで、日本の伝統的な邪気を祓う声、アフリカのリズム、知的なフーガ、ヨーロッパ近代の麗しい和声などなど、生成の歴史は音楽の歴史と重なっています。合唱団はこれらすべての様式を的確に歌い分けねばなりません。
先週の水曜日11日には武久さんが練習に立ち会い、自作を再発見し、自身の15年前の仕事振りに自分でも驚いたようです。彼曰く「人間の声に対する信頼がこの曲の中核を成し、神の意思、天地万物の生成、心の進化と深化、人間の単独性(孤独ではない)と宇宙のハーモニー、…、それらの全てが、声だけで実存している。」と。
ご一聴を心よりお勧め致します。