トップ «<ELIAS>のコンサートとともに 最新 ディストラーのコンサート無事終了»

ムシカWeb通信


■ 2008/06/23 再びコンサート一日前

 ディストラーの<メーリケ・コーアリーダーブーフ>と<2台のピアノのための演奏会用作品>のコンサートが明日にせまりました。ずっとこの準備で皆様には長いご無沙汰を致しました。何が大変だったか? 数え上げればきりがありませんが、<メーリケ>は22曲を三団体と男声合唱団、という実質四つのグループが歌うので、ほぼ連日どこかのグループと練習をしていたこと、解説を書き出してみれば、たった34年しか生きなかったディストラーなのに、その生涯と創作活動、彼の考えなどが一筋縄では行かないことが分かり苦戦を強いられたこと、22編のメーリケの詩がこれまた多岐におよび、その詩の参考にと思って読み出した彼の自伝小説「画家ノルテン」も、素晴らしいヒントに満ちていたとはいえ、決して読みやすい物語ではなかったこと、22編の詩の訳、これがまた難しいのなんのって、まず、詩をドイツ語で書き写す、というところから躓きましたのです。ディストラーの曲に付けられている単語の書き方と、ヴォルフのリートに付けられているそれは微妙に異なり、メーリケ詩集に載っている書き方も若干違うのです。最後はディストラーの音楽に沿って写しましたが、繰り返しなどは最後までよく分りませんでした。そして日本語訳です。参考にしたもののなかには「名訳」も多々あり、そのまま使わせて戴きたかったものもありましたが、ディストラーの音楽とともにお読み戴くとなると、これまた別のニュアンスが必要なのですね。結局全部自分で訳しました。というようなあれやこれやで、今日に至ったというわけです。

 はっきりしていることは、こんなに面白い合唱曲は滅多にない、ということです。それは単に音楽として面白いだけでなく、ディストラーは、自分より104歳年上の詩人の想いとディストラー自身の日常的悲哀の原因の一つでもあった第三帝国の恐ろしさ、不気味さをピタリと重ね合わせ、「決定打」ともいうべき音楽言語を選び取って行くのです。これは続けて書かれた<二台のピアノ・・・>にもはっきりと現れています。

 明日はディストラー100回目の誕生日、この際「聴いておこうか」とお思いの方は是非お出かけ下さい。ではまた。Y.T.


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