トップ «コンサート一日前 最新 卒業式»

ムシカWeb通信


■ 2008/03/22 二つのコンサートを終えて

 3/12(水)<受難楽の夕べ>が終わりました。フーゴー・ディストラーと武久源造の作品は根本的な構造が同じだったので、合唱団にとっては非常に歌いよい状況でした。「まるでこのカテドラルのために作られたような音楽だった」という感想を伺い、作曲家、演奏家、聴衆が「響き」に対してやっと一つのイメージを共有することが出来たのだ、と思い感無量でした。お客様はエリヤの時よりぐっと少なめでしたが、非常に集中して聴いていただき、これも歌い易かった理由だと思います。音楽評論の谷戸さんにお目に掛かりました。なんとディストラーとお誕生日が同じ6月24日のお生まれだそうです。勿論ディストラーの音楽を非常に評価しておられ、6月24日にはご自分でもコンサートの開催を考えておられたようですが、私達が<メーリケ・コーアリーダーブーフ>をこの日に歌うので、「良かった。聴きに行きます。」と仰っておられました。この<メーリケ>は実に美しく、哀しく、朗らかで不気味、といったなかなかの世界です。

 3/20(木)の午後にはカザルス・ホールで椎名雄一郎さん「J.S.BACH オルガン全曲演奏会」が開かれ、シュッツ合唱団も椎名さんのオルガンと共にコラールを歌いました。フーゴー・ディストラーの、さまざまな調性が同時に響き、それが瞬時に変わって行く、という難曲から一転、この日のバッハのコラールはユニゾンの世界です。これが簡単そうで簡単ではありません。一音一語がただただそのまま聴こえてしまうので、あらゆる意味で歌い手の本質が問われるコンサートでした。

 若きバッハは礼拝のコラールをオルガンで伴奏するにあたって、一節ごとにかなり大胆な装飾的パッセージを挿入し、歌の部分にも前衛的な和声を使って当時の人々を驚かせ、また顰蹙をかっていたようです。バッハが神と対話しているような音楽で、まさに天衣無縫、天馬空を翔る、といった趣きでした。

 バッハのオルガン曲は一曲一曲が異なった織物のようで、目の詰んだペルシャ絨毯のものから風通しのよい絽の布のようなものまで、椎名さんの選んだストップを楽しみました。

 さてこれからバッハのカンタータの練習に入り、3/29土午後6時からSoli Deo Gloria が始まります。どうぞ上荻の本郷教会にお出かけ下さい。お待ちしております。

コメント(2) [コメントを投稿する]
_ 中野利子 2008年04月02日 23:36

遅ればせながら3/12コンサートの感想を。言葉を聴きとる余裕はあまりなく、ひたすら響きを聴きました。不思議な、魅せられてしまう深い響きでした。声明のような,雅楽のような、「西洋音楽」が生まれる前の音楽のような……。シルクドードという言葉も浮かんできたほど。受難劇にもかかわらず(あるいは受難劇だからこそ)、響きを通して伝わってくる静謐さにとても胸をうたれ、終ってしまうのが残念でした。伝統の中に生き,伝統・師に学び、このような音、響きを創りだしたディストラーの感受性が、10年後に混沌と脱力に追い込まれてゆくプロセスを、いろいろ想わずにいられませんでした。 / 武久氏の新曲は,息の始まり,声の始まり,響きの始まりの気配が身にせまるように伝わってきてぞくぞくしました。ヘブライ語についてはよくわかりませんが、ヤハウェという呼称のやわらかい音が昔から印象的でした。両曲とも短期間に仕上げられた合唱団の力に感服しました。いつの日かの再演をつよく希望いたします。

_ 淡野弓子 2008年04月06日 00:28

<受難楽の夕べ>の感想を有り難うございました。フーゴー・ディストラーの音楽から、声明、雅楽といった私たちの伝統音楽の響きを聴き取って下さったことに、深い喜びを感じます。武久氏の新曲はヘブライ語という、初めて歌う言語にも拘らず、なにか非常に親近感を覚え、スカッとする感じでした。そして新しい合唱音楽へ広がって行く可能性を示され、ここからさらにどのような展開を見せるのか楽しみになりました。


編集