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ムシカWeb通信


■ 2007/10/29 <エリヤ>もうじきです。

 先先週の土曜日(10/13)より<エリヤ>の弦楽セクションの練習を始めた。こんなに大変な曲は初めて、と異口同音。クルト・マズーアも「エリアの練習は最低一週間はかかる」と言っていたそうだから我々が二週間というのはやはりちょっと・・・・・・・心配です。

 合唱はかなり勉強した(メンデルスゾーン・コーアは昨年から、シュッツ合唱団は今年の9月から)のだが、四声体というのは簡単なようで難しい。第二ソプラノとか第二テノールという声域が単にソプラノ、テノールに組み込まれてしまうので、声部のラインがピシッと決まらない。また、和音をパッと切ったあとに来る音楽的静寂がものを言う箇所が多々あり、ひとりでも最後の子音を言い損なうとすべてが台無し。先週(10/20)は午後1時半から合唱のみの練習を始め、午後3時に弦楽と合流、夕食休憩をはさんで午後9時迄練習したのだが、夜にはまともに口もきけないほど疲労こんぱい、朦朧として家路に・・・。翌10/21(日)、ほんの少し希望が見えて来た。合唱はこのあと10/22(月)、24(水)、25(木)とさらう。

 10/27(土)<エリヤ>の練習に出かけようと家を出る寸前、Liv のお母さんから電話。「東京に着きました!」  ああ良かった。これで<エリヤ>の独唱者は全員揃った。この時の私の安堵の吐息には昨年の5月、メンデルスゾーン・コーアが始まって以来の喜びと悲しみがすべて含まれていたといってよい。

 13歳のドイツ人の少女に声楽のレッスンを、と頼まれたのは昨年の5月だった。丁度メンデルスゾーン・コーアの練習が始まる時だったので、合唱の始まる前の午後6:00から30分、五反田のクロイツ教会で教えることになった。そして、6:30から7:00少し前迄は内尾くんの声をみてあげよう、ということになったのだ。彼はシュッツ合唱団に入ったばかりの19歳でなにもかもがこれからだった。

 Livはドイツ人なので、まずはシューベルトやシューマンの小さな歌曲から始めた。内尾くんは5月だったし、折角19歳というかけがえのない年頃をソルフェージュなどといったことで使ってしまうのも惜しいと思ったので、思い切ってシューマンの<詩人の恋>の第一曲目 Im wunderschoenen Monat Mai (うるわしき五月に)を渡す。彼はなかなか趣きのあるバリトンで良く考えて歌うタイプだった。二人とも姿勢と呼吸については徹底的に教えた。

  Livはどんどん身体も大きくなり日に日に声が伸びて行った。一年が過ぎた頃、<エリヤ>に雨の到来を告げる少年の場面を勉強する。最後高い a を伸ばすところが、なかなかに難しかったが、これも段々に良くなって「本番も大丈夫そう」というところまで来たので今回の公演で歌うことを決めた。ソプラノといっても本来はボーイソプラノの役、Liv は女の子だが、今やっと14歳、その声のはこの役に良く合っていた・・と、ここまでは順調だったのだが、なんと一家は帰国することに。惜しい、と私が落胆していると、11/2は学校が休みの期間なので、もう一度一家で日本に遊びに来る、という運びに。

 帰国後はミュンヘン音大の声楽の先生の許で勉強を続けることが決まり、その先生も Liv の声に感激したとの知らせ、本当に嬉しかった。その後 Liv の通うギムナジウムの校長先生に、これこれの公演に出演します、との証明書を書いて送り、10/27 晴れて日本に。10/28には本郷教会でオケ合わせ。この四、五ヶ月そこそこで背丈が 4、5センチ伸びたのではないだろうか。大きくなり、声もさらに充実、驚いた。

  内尾くんは・・・・<エリヤ>当日には全身を耳として彼の声をキャッチしよう。Liv が来るなら、とか言ってひょっこり現われるような気もする。


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